組みの変化が作品にどのように反映されたのかを検討する。装束の描写を特徴とする伝統的なタイプを継承,洗練する一方,通常12点の作品からなる処女殉教聖女のシリーズを制作した。こうした作品は,主として女子修道院に好んで注文されたと考えられるが,同時に,民衆の参加のもと,信仰の実践としておこなわれた彫刻聖像装飾の伝統と深く関わるものであった。スルバランの聖女像の衣装は,いくつかの現存史料から,祝祭の行列に用いられた着衣聖像の装束との類似が確認でき,また,スルバラン派の作品には,そうした彫刻聖像に典型的な聖具を思い出させる細部描写も見出される。スルバランの作品に代表される伝統的な聖女像の様々な特質は,着衣像を中心とする聖像装飾の価値観を絵画において実現しようとしたものであり,しかも,このような絵画制作のあり方は,教会による作品契約の条件,あるいは制作者側の組織,画家同業組合によるマエストロ資格試験の実行形態とも深く関わっていた。いっぽう,こうした伝統的聖女像はムーリョの作品のなかで姿を消す。ムリーリョは,町娘風の質素な衣装で処女聖女を描き,また,17世紀前半のセビーリャはごく稀であった<悔悟するマグダラのマリア>を盛んに制作する。彼はフランドル系商人をはじめとする多くの個人顧客に恵まれた画家であったが,こうした聖女像の変化は,民衆風俗や性的描写に対するこれらパトロンの特殊な関心に根ざしていたように思われる。また,世紀後半に活発化したセビーリャの個人パトロンの活動は,独立の芸術としての絵画の地位を積極的に認知しようとするものであった点でも注目される。発表では,この新しいパトロネイジの形態が,セビーリャにおける絵画制作の条件を大きく変えたことを指摘し,さらにはムリーリョによる様式革新の背景をも考察することにしたい。③ 「南蛮漆器とインド=ポルトガル様式にみられるその起源資料について(研究の中間報告およびゴア踏査報告)」報告者:静岡県立美術館主任学芸員越智裕二郎概要:かつては,限られた作品しか知られていなかった南蛮漆器や,輸出漆器のジャンルも,近年海外にもある多くの作品や関係資料がしられるようになり,また日本への里17世紀セビーリャの聖女像の代表的な描き手であったスルバランは,きらびやかな_ 17 -
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