鹿島美術研究 年報第10号
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帰りの作品も増えたため,この工芸の世界においても初期洋風画と同様,近世初頭における西洋との直接の交流の中で文化をどう需要し,変容させていったかがうかがえる,きわめて滋味豊かな鉱脈であることが見えてきた。しかも,それらの資料を子細にみていくと,単に西洋というのみならず,ポルトガルが日本へ到達するまでのアジアの影讐すなわちインド=ポルトガル様式が強くみられる,まさに大航海時代の文化所産であることがわかる。すなわち,それらの資料は当時の交通や日本とポルトガル,あるいは後のスペインなどとの交易の様子を逆照射していると言ってもよい。それは,例えば最近宇田川武久氏がその著「鉄砲伝来」(注1)において,日本に残された火縄銃がヨーロッパで当時使用されていた火縄銃より東南アジアで改変された火縄銃に酷似していること,および朝鮮半島に残された文書から「鉄砲記」に書かれを論証,そのことによって東シナ海における倭冦を中心とする私貿易の様子が,浮かび上がってきたようなものである。残念ながらインド=ポルトガル様式の資料に,日本の南蛮漆器と絡むそのような歴史的資料や具体的な文書が残されているわけでもなく,また発見されているわけでもないが,イエズス会を軸とするポルトガルと日本の文化交通の実態を考える際に,ゴアの果たした役割は,現在考えられている以上に大きなものではなかったか。そのゴアの現状を報告するとともに,研究途中ではあるが近年次第に明らかになってきたインド=ポルトガル様式資料の内,日本の南蛮漆器のプロトタイプと思われるものを置くことにより,そういった大航海時代の中で日本の南蛮漆器がどのように位置づけられるのかを考察する。(注1)宇田川武久「鉄砲伝来_兵器が語る近世の誕生_」中公新書no. 962, 1990, pp. 3■15 ④ 物語絵画の諸相ー絵と詞一報告者:武蔵野美術大学教授佐野みどり概要:物語絵画は,障壁・掛幅・絵巻・冊子・扇面など様々な画面形式に,時代の,流派の,(もしくはジャンルの)描写スタイルをもって,王朝物語・世俗説話・仏教説話・寺社縁起・高僧伝・軍記物語などといった多様な主題を描き表わしている。物語絵巻た1543年(天文12年)のポルトガル人漂着以前に,既に日本に鉄砲が入っていたこと18 -

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