江戸時代(1615-1867)は,中国文化が日本文化の要素をなすところまで血肉化された時代ということができる。それはとくに文芸と美術に顕著である。私は,江戸時代の俳諧師であり画家でもある与謝蕪村(1716-83)の晩年の水墨画の大作『秋蘭と石』図をとりあげ,そのことを明らかにしたいと思う。そのためには,その画が制作された当時に立ち返り,その制作の「場」を中心に考えることがなによりも肝心だと思う。この『秋蘭と石』図は蕪村の画室ではなく,彼の俳諧グループの会席において,彼らを招待した亭主の求めに応じて,即興的に制作された,いわゆ「席画」であったと推察される。それは画面に遣されたいくつかの事実によって証明することができるからである。蕪村と享受者(俳諧の仲間たち)は互いに知識と教養がわかっている者同志である。また彼らは共通の美意識をもっていた。彼らの間には暗黙の了解事項,共通知識があり,その中には当然中国,日本の古典教養も含まれており,それらを前提にして,本図の制作がなされた。「秋蘭」と「石」は文人画の主要なモティーフである。この『秋蘭と石』図は明清時代の画本であり,日本でも翻刻された『八種画譜』『芥子園画伝』などを手本として描かれたと考えられる。「秋蘭」と「石」そして「秋風」については,中国と日本の文学,思想の文脈(コンテキスト)をたどることができる。それぞれの文脈を探ることによって,この画に託した蕪村の意図,表現としての趣向も,おのずから明らかになってくる。-38
元のページ ../index.html#62