第1発表者坂本満氏は,江戸時代における西欧絵画の日本的変容について述べた。② 第28回ベルリン国際美術史学会(XXVlllth lntenational Congress in the History of 出席者:東京大学文学部教授河野元昭私が議長をつとめるセッション「16■19世紀の日本美術における外国影響」は,7 月20日午後2時より6時にわたり行なわれた。冒頭,私がこの問題に関する概括を行なった。わが国の美術は古代以来つねに外国の影響を受けてきたが,16■19世紀は特に興味深い時代である。なぜなら,この時代にはじめてヨーロッパとの直接的交渉が生まれたからである。鉄砲とキリスト教に始まる西欧文明の流入によって日本の文化は決定的影響を与えられたが,美術も例外ではなかった。しかし,影響の強さからいえば,中国文化,特に明清文化の影響のほうが強かった。特に重要なのは,朱子の格物致知という客観主義と,王陽明の心即理という主観主義が,二つながらに伝えられたことである。これが近世絵画における2つの基本理念として作用した。さらに,西欧文化が中国を経由し,中国化された形で日本に伝えられたことも見逃せない。蘇州版画などはその典型である。同時に,日本人は先の西欧文化も中国文化を通して理解したふしが強い。これに朝鮮の影響が加わる。日本の近世美術は,これらの外国影聾を取り入れつつ,それを日本化して生み出されたものである。この時代は一般に「近世」と呼ばれるが,この時代区分は西洋に存在しない。つまり,この時代区分が日本独自のものである点に,わが国の美術,さらには文化の特質を解く鍵がある。しかも,明治維新後,日本はヨーロッパ文化を積極的に吸収したが,その基盤をなしたのは近世文化の伝統であった。以上が私の論旨である。ヨーロッパ絵画は安土桃山時代にも日本へ紹介されたが,それはわが伝統絵画にほとんど影聾を与えなかった。ところが,18世紀後半になると,ふたたび西欧絵画が流入するようになり,この様式を採用した洋風画家たちはその遠近法と明暗法を使って,風景,花鳥,人物などあらゆる対象を描くようになった。しかし,日本人を描く場合だけは,わずかな例外を除いて,決して明暗法を適用しなかった。たとえば,幕末の歌川国芳の場合,中国人を描くときは強い明暗法を用いたが,日本人あるいは美人一それが中国人であっても一を描くときは,絶対に明暗法を用いなかった。他の幕末浮世絵師の場合も,みな同様であった。したがって,強い明暗法は外国人,英雄,巨人,Art, Berlin) -39 -
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