第3発表者清水義明氏は,円山応挙における写実主義の実態を明快に解き明かして第4発表者ジアン・カルロ・カルザ氏は,ライデン博物館およびパリ国立図書館に敵役,化物など,尋常ならざるものを表現する手段となったのである。遠近法においても,同様の日本的変容が見られるのである。の杜会的コンテクスト,つまり「座」を中心とする制作環境について述べた。蕪村の傑作の1つであるこの屏風は,彼の画室でではなく,席画として主人の求めに応じ,俳諧仲間の目の前で描かれた作品であることが,さまざまな証拠によって明らかにされる。彼らは教養と文化を共有する気心の知れた仲間たちであった。彼らの間には,中国古典文学が基礎となった暗黙の文学的了解があり,燕村もそれに乗っているのである。蘭石は日本および中国の文人画において,好画題となってきた。この屏風における蕪村の表現は,『八種画譜』や『芥子園画伝』にもとづいている。しかし,それを指摘しただけでは不十分である。東洋の古典文学においては,蘭は秋風を連想させるものであり,ルのなかで理解された重層的意味か表現されているのである。くれた。応挙は絵画芸術,特にモニュメンタルな障屏画にそれまでとまったく異なる空間性を導入,日本絵画に新しく写実主義の思想を植え付けた。この美術史上の新展開は,一方に伝統的空間性からの離脱,他方に西欧的な構成の創造という大胆な試みによって図られたものであった。清水氏は応挙の作品を正統的な狩野派の作品と比較する。次にそれを近世初期の南蛮美術や新しくもたらされた科学的な挿絵などと同じく,西欧との出会いから生まれた一形式と規定する。そして,それが日本人の形態と空間の意識をまったく変えてしまったことを明らかにする。この結果,応挙の美術史上におけるリアリストとしての位置が,白日のもとにさらされたのである。所蔵される葛飾北斎の日本風俗図を取り上げて論じた。江戸後期,日本へやってきた有名なドイツ人医師シーボルトは,1826年江戸で15枚の日本風俗図を手に入れた。その後ライデン博物館の所蔵となったこれらは,すでによく知られているところである。これらは一般に北斎に擬定されているが,カルザ氏によれば,北斎も一部担当して制作されたエ房的作品の可能性が高い。また,数年前パリ国立図書館から新たに25枚が発見されたのだが,これはオランダ商館長ド・スターラーの旧蔵品で,様式的にはライデン本とほとんど同一である。ところが,最近カルザ氏はこれらと非常に関係の深第2発表者林進氏は,与謝蕪村筆「蘭石図屏風」(大和文華館蔵)を材料に,蕪村画この屏風にも風が描かれている。ここには蕪村とその俳諧サーク-40 -
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