鹿島美術研究 年報第10号
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い下絵を発見したのだが,これによってライデン本およびパリ本に北斎の弟子が含まれていることを推定することが可能になった。これを制作するさい,北斎は与えられたオランダのヘーニッヒ紙に大きな関心をもったにちがいないのだが,さらに西欧的明暗法や遠近法を使って,逆にヨーロッパ人を驚かそうとしたのではないだろうか。そして,それをいったん達成してしまえば,あとは弟子に任せてまったにちがいない。したがって,弟子の代作のうちにも,やはり「北斎」が息づいているのである。第5発表者ドリス・クロワッサン氏は,近代洋画の開祖ともいうべき高橋由ーを取り上げ,江戸時代洋風画および西洋画との関連において,その「近代」の実態を明らかにした。すなわち,1880年代の由ーの風景画は,近代的建築,道路,橋梁,トンネルなど19世紀ヨーロッパではやった報道的銅板画や写真がよく取り上げたモチーフと同じものを描いている。それら報道的銅板画や写真は,複製されることの少なかった当時のアカデミックな西洋絵画よりも,由ーにより一層強い影響を与えたのである。そして,三島通庸による栗子隧道建設の偉業をたたえる作品を制作するなかで,由一は自然主義的描写から独自のヴィジョンを打ち出す描写へと進んだ。それは洋画が1880年代の復古主義的風潮に適応しなければならなかったからであり,由ーも思想性強調のために新しい絵画的世界へ歩を進めざるをえなかったからである。当時,洋画と日本画との間では写実に関し論争が起こっていたが,それが1880年代中期以降,洋画にすぐれた実用主義の一面をなくさせることになった。洋画は自然主義を犠牲にすることによって,復古的な日本画に対し,真に創造的に立ち向かうことができたのである。以上が私のイントロダクションおよび5人の発表の概要である。このあと討論に移り,シドニー大学教授ジョン・クラーク氏,東北大学教授田中英道氏などから鋭い質問が出された。これらのうち,特に私の興味を引いたのは田中氏の質問で,林氏が取り上げた蕪村筆「蘭石図屏風」のような作品の素晴らしさは,果たして西欧の美術史研究者に理解できるかどうか疑問であるという内容であった。それはいかにも,日本美術を独自の美意識などでなく,西欧の価値基準に照して評価すべきであるとする田中氏らしい質問であった。この点に関し,充分討論する時間はなかったが,私はこう考える。現在では,この屏風の美しさを感得できる西欧の美術史研究者も,決して少なくないであろう。しかし,田中氏が言うように,もし理解できない研究者が多いならば,私たち日本人研究者はそれを彼らにわかるように説明すべきである。もちろん,彼らの思考回路を考慮41 -

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