鹿島美術研究 年報第10号
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ンテグアルダインファゴメス・デ・モーラはフェリペ四世の命を受け,その塔を「身体の周囲の釣り鐘状衣② ベラスケスとフェリペ四世の宮廷(Velazquezand the Court of Philip IV) 研究者:跡見学園女子大学教授大高保二郎研究報告:狩猟塔の装飾を中心として此の度,鹿島美術財団の援助でベラスケスに関する現地調査を行い,次の諸テーマについて研究を深めることができた。トーレ・デ・ラ・パラーダ(狩猟塔)の建物と構造,そこを飾った絵画装飾の復元,ベラスケスによる古代美術品の蒐集とバロック時代における古典古代への態度,である。一の問題を中心に研究報告の一端をここに記しておく。1960年,ベラスケス死後三百周年を記念しての大回顧展と,それに伴う記念出版(1)において多大な研究成果が挙げられた。その後ロペスーレイの作品総目録が世に出,グディオル,エンリケタ・ハリス,ブラウンなどの手で本格的なモノグラフィーが刊行され,1990年,プラドとニューヨークのメトロポリタン美術館での回顧展においてこの三十年の成果が集約されるに至った。今日のベラスケス研究の趨勢は作品自体のクリティックや図像学上の洞察よりも科学的な調査(2)や,画家として以外のベラスケスの活動,特に彼を取り巻く広い意味での環境に関心は移っている。すなわち,当時の王宮アルカーサルや離宮ブエン・レティーロの構造や,歴代王家の蒐集になる豊かな絵画コレクションがどう飾られていたしてベラスケスはそれらにどう関与したか。部屋を装飾する意図や演出上のねらいがあるとすれば,どのようなものだったか。以上の問題提起をマドリード郊外,ェル・パルドの森にあったトーレ・デ・ラ・パラーダ(狩猟休憩塔,以下“狩猟塔”と略す)に関して考察しよう。狩猟塔は十六世紀中葉,皇帝カール五世(スペイン王カルロスー世)のもとで狩猟中の休憩や昼食のための施設として彼の建築家ルイス・デ・ベーガによって設計された塔がその始まりである。それから一世紀近くたった1635■6年,宮廷建築家ファン・装」(1677年のウィーン大使の印象記)のように増改築して,フェリクス・カステーリか(3)。さらに装飾デザイナー,後にはアポセンタドール・マヨール(王宮配室長)と― 王宮内における廷臣ベラスケスの活動と宮廷職の実態,65 -

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