られた大坂城対面所・衆楽第大広間などの,巨大な対面空間の成立と深い関係があることを,室町将軍邸や信長の安土城の場合と比較しながら述べる。秀吉時代の対面儀礼は,大勢の家臣を一堂に集めて主従関係や身分の上下関係を明確化するという目的をもっていたから室内空間はこれまでになく巨大化・荘厳化され,障壁画にもそれにふさわしいスケールと新しい権力者の威容の発現となるような威圧的な表現が求められた。永徳の新様はまさにそれに応えたものである。それ以後の二条城二の丸や江戸城本丸大広間といった対面空間にそうした絵画の伝統が根づよく残っている事実は,この新様が対面儀礼と深い結びつきをもっていたことの証左にほかならないだろう。ただ,このことに関連して言えば,天正後半期の永徳や永徳周辺の画家が新様の絵ばかりを描いていたのではないことにも注意しておく必要がある。正親町院御所の遺構である南禅寺大方丈の障壁画にみるごとく,同じ時代にいくつもの異なる様式が共存し,ひとりの画家がさまざまに描き分けることすら行われていたのは事実である。それゆえ,永徳が創案した新様の絵画も,主として大空間で用いられるこの時代の多様な表現形式のひとつと考えるのがもっとも正当な捉えかたといえる。最後に,この新様が永徳周辺の画家に与えた影響について考えてみると,等伯ー派の旧祥雲寺の障壁画が示すように,それは多くの場合,モチーフの巨大化や,金碧をふんだんに用いて豪華にしあげるという手法の摂取にとどまり,新しい空間表現の理解と継承には至らなかった。だが,永徳のように絵画面の手前への三次元化ができず,また奥行をも失って平面的になった絵画の中に,後世の画家が新しい価値や進路を見出し,そこから三次元表現を否定する新しい絵画思潮がうまれたのも事実であって,永徳が後世に与えた影響力は実に測り知れないのである。② ハイバーノ=サクソン装飾写本に於ける文様美術の影響関係ーーアニマル・スタイルをめぐって報告者:東北芸術工科大学専任講師鶴岡真弓本日の発表では,このたびの調査において行われた表題の「文様」研究のうち,①ハイバーノ=サクソン装飾写本②ケルトおよびアングロ=サクソン金工品③初期中世北欧の木造教会装飾の比較において,最も広範かつ緊密な影響関係が認められる,「l北方)動物文様」に-15
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