鹿島美術研究 年報第11号
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③ わが国で展開した仏教説話絵にみられる表現の諸相の基礎的研究報告者:奈良国立博物館学芸課美術室長梶谷亮治は豊かな厚みがある。平安時代には,『李部王記』承平元年(九三ー)九月三十日条の,貞観寺の摂政良房の堂の柱絵釈迦八相図がまずあげられ,これは堂塔に表された仏伝図としては早い記録である。永観二年(九八四)には源為憲の『三宝絵』三巻が成立している。この内の上巻はすべて本生靡で占められ,中巻は聖徳太子から奈良朝末までの僧伝,下巻は当時のわが国におこなわれた仏事を記す。上巻と中巻の序に,仏伝を引用した記述がある。『三宝絵』はすでに絵を失っているが,わが国のいわゆる高僧の伝記絵や縁起絵を含む仏教説話絵の成立と展開を考える上でなお重要な意義があるように思われる。ついで藤原道長の法成寺には,治安二年(-0二ニ)に完成した金堂の扉に八相成道変が描かれた(『法成寺金堂供養記』)。法成寺にはこの他にも各種の仏教説話絵が描かれたことが諸記録から知られる。『栄華物語』おむがくにも記されているように,十一世紀にはすでにこうした濃密な芸術的空間が貴顕に亭受されている。また,宮廷の貴顕の作画活動は仏教説話絵との関連の上でも展開された。経絵は,貴顕の生活にひきよせて解釈された仏教説話絵の一例である。十二世紀はじめに成立した『今昔物語集』の,巻ーから巻三は仏伝にあてられる。われわれはこれによって,平安後期に仏教説話絵にあらわれるいくつかの特徴的な出来事を考えることができる。注意すべきは,この仏伝の出典が多岐にわたることで,近年の研究では,各説話が直接仏伝経典に取材したというより,それら仏典を自在にするものの展開をあらためて考えてみると,その多様な展開が注目される。本生諏も含めれば,飛鳥時代の玉虫厨子に描かれる二説話をはじめとして,法隆寺五重塔塔本塑像,失われた東大寺金堂の六宗厨子のうちに描かれたいくつかの説話,数本が伝来する絵因果経,さらには聖徳太子絵伝から逆にその存在が推測される大画面の仏伝図など,上代の遺品にわが国における仏教説話絵のうち,仏伝説話に関-17 -

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