鹿島美術研究 年報第11号
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する研究が多くの成果を挙げている今日は,暫定的な同定のみ付与された同代の七宝に対し,より精密な制作地,年代,制作者の考察を行う為の素地は十分に整いつつある。本研究では,研究の待たれる15世紀前半のフランスの七宝工芸品を対象とし,四散している作品を網羅し,同時代の写本装飾も随時比較参照しながら,様式の分析により分類し,作品群内,作品群相互のクロノロジーを確立したい。また,本研究を通じ金工のくエ房>のあり方を推定し,七宝と写本等の異分野間の交流のあり方を明らかにしたい。例えば,ステンドグラスやタピスリーの制作では一般的であった,専門の画家によるカルトン,マケットと呼ばれる下絵の使用が,七宝の分野ではあり得たのか,種々の職人の分業,連携についても光を当てたい。④ セザンヌにおける表象と主体:19世紀後半の西欧における認識論的変移研究者:コロンビア大学博士号候補,クーパー・ユニオン大学講師従来セザンヌの作品は,印象派からキュビスムを結ぐ画家という様式史的な視点からか,または,画中のモティーフ,主題を画家個人の内面の象徴と見なす図像学的な理解か,大別してその二つの観点からしか解釈されてこなかった。その意味で,本研究は,セザンヌの絵画の方法を,表象と主体という観点から再考することによって,同時代の文学や哲学との共時的な関係の中に位置づけることを可能にする。そして,そのような共時的なネットワークから明らかになるのは,19世紀の末において,オリジナリティーという価値を核とするロマン主義的な芸術観が大きく変質したという実である。その変質は,表層的には古典主義の復活という現象として現れたが,セザンヌやマラルメは,オリジナリティーの不可能性を,彼らの表象に先立って公共的に存在する記号(言語や絵具)媒体の中に見ていた。故に,彼らにおいては,表象媒体は私的な意図や感情を伝える為の透明な媒体ではなく,独自の性質を持つ不透明な運動体として捉えられている。この表象言語の不透明性・制御不可能性の認識は,その前史を19世紀の「文献学」的感性に辿ることができるが,さらに重要なのは,そのような認識が,20世紀初頭の林道郎-39-

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