朴美”あるいは“稚拙美”を持つものとして積極的に評価しようとする機運が高まりつつあるが,例えばお伽草子については国文学,参詣曼荼羅については歴史学や民族学からのアプローチが主流となっているのが現状であろう。もちろん個々の作品について美術史的な言及が徐々に積み重ねられてはいるが,素朴な様式の点で共通するこれらの作品群を全体として視野におさめる,すなわち例えばお伽草子絵巻と参詣曼荼羅を美術史の同一の文脈で把握しようとする試みは,現在のところあまり一般的なアプローチとは言い難い。今回私は,まさにそうしたアプローチを試みたいと考えているのであるが,特に参詣曼荼羅に関する美術史面での基礎的データが充分でない現状では,それはあるいは無謀な企てといわざるをえないのかもしれない。しかし,中世宗教絵画の中に現れた“素朴様式”の系譜を明らかにし,その意義を明らかにすることは美術史の責務であろうし,個々の作品の様式・技法面でのデータを着実に充実させることによって,中世の素朴様式全体を,統一的視野の元に把握することが可能になるであろうと考えている。⑮ 唐時代銀器,唐鏡を中心とする唐時代美術の基礎的調査研究研究者:白鶴美術館研究員山中現在,唐時代銀器で狩猟文を表した代表的作品が四つ(それぞれ北京故宮博物院,挟西歴史博物館,大英博物館,白鶴美術館の所蔵)知られていますが,それらを微妙な時代順に並べることが果して可能でしょうか。同一工房作なのか,別の工房の作品が混じっている可能性は,同一工房作とした場合,同一人の仕事か,兄弟弟子同士のものか,師弟の作かなどといった違いにまで入り込んで分類整理すべきでしょう。そのような僅かな時の移ろいや作者の違いを嗅ぎとる作業を成功に導くためには,とことん細部にこだわり,その細部が訴えかける調子の首尾一貫性の有無に注意を払うことが必要だと思われます。これは決して近視眼的なものの見方ではありません。言っならば,様式の父や母を見いだす試みでもあるのです。西安何家村出土挟西歴史博物館所蔵「狩猟文高足銀杯」と白鶴美術館所蔵「鍍金狩猟文六花形銀杯」の狩猟図のなかには,全く同じと言ってよいほど似通ったシーンが刻出されています。すなわち,馬上から矢を射ったばかりの狩人の姿と,狩人が放った矢が背中の後ろのところに突き刺さり頸を反らし悲鳴を挙げて倒れている(あるい理-47 -
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