鹿島美術研究 年報第11号
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がる。村山知義とその周辺の幾人かの日本人がドイツに残した足跡と帰国後の活動が明確化されつつあるのと並行し,仲田の残したものを実証的に考察することで,近代日本の美術とドイツ前衛美術の史的関連は,一層豊かな内容とされることが期待できる。⑰ 1904年から1906年にみられるアンリ・マティスの様式変化の考察研究者:大阪大学大学院文学研究科博士課程大久保恭子マティスと新印象主義の関わりについては,近年,キャサリン・C・ボックのフォーマリスティックな視点に立った研究がある。又,P・シュネーデルやJ.D・フラムらのマティス研究には,A・バー・ジュニアが示したモダニストとしてのマティス像を打ち破ろうとする新しい方向がみえる。しかし1904年から6年にかけてのマティスの様式の変化を同時代の芸術の諸相との関連に重きをおいて分析検討することは,いまだ十分には成されていない。マティス研究にみられる新しい方向性を明確にし,マティス芸術の美術史における意味を解明するためには,当時マティスが直面していた解決すべき芸術上の問題点を共時的にとらえることが必要だと考える。そのためにフォーマリスティックな研究を踏まえたうえでく豪奢,静寂,逸楽>とく生きる喜び>とにみられる様式の変化をより広い視野に立って研究したいと思う。このような方法による研究は,A・バー・ジュニアが唱えたモダニストとしてのマティスという限定的な見方に対して,これまで見おとされてきた,マティスの絵画が内含すると思われる,物語性や意味を明らかにすることができ,マティスをより多面性をもつ画家としてとらえることに貢献すると考える。これによって新印象主義,マティス,フォーヴィスムという19世紀末から20世紀初頭のフランス美術の流れの中でマティスの果した役わりの全容が明らかにされると確信する。⑱ 古代朝鮮に於ける釈迦誕生像について研究者:東京大学大学院人文科学研究科博士課程誕生仏の問題を,中国,朝鮮,日本三国を一つの単位として考える時に,古代インドにはそれらしいものが存在しなかったことが目につく。仏教造型の中のこの種の造漆紅-49-

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