ある。注文制作の事情は,摺物と類似している。摺物と構図・図柄・画題等を同じくする肉筆画は,同じ社会背景の下に絵師が制作した作品と見なすこともできるだろう。さらに,その肉筆画に画賛があれば,賛者と摺物にみられる狂歌師の関係を探り,肉筆画制作背景の事情に,より確かな推測が成り立つだろう。葛飾北斎の作品にも,上述のような作品の分野がある。摺物の多くは,彼をとり巻く人々の趣向に合致するように,画題や絵画の内容が撰定されたと考えられる。画題・画趣は,画面上に添えられた狂歌の内容と無縁ではないし,絵師である北斎と狂歌師(または狂歌連)との間に,絵画について一定の約束事があった筈である。それは狂歌師が属した狂歌連が好んだ趣向とも見なして良いだろうし,逆言すれば,北斎は狂歌連の趣向に合った絵画を制作し得たことで,当時の杜会的評価を得た訳である。これらの視点に立ち,絵師としての北斎と彼の作品に対して与えられた当時の社会的評価・社会的支持基盤を明らかにし,改めて葛飾北斎という絵師と,彼の作品への位置付けをなしたい。⑫ 山岳信仰美術の研究ー役行者の図像を中心に一研究者:大阪市立美術館学芸員石川知彦調査研究の構想理由;数年前,あるお寺で総合調査に参加した際に,通常とは異なる役行者の坐像を描いた軸に出会った。これが果たして本当に役行者像かという疑問が起こり,それを機会に行者像を調べ始めた。すると役行者像は従来考えられていたより像容は多様で,その展開は新羅明神像と共通点が多いことに気付いた。そこで全国に残る行者像を徹底的に調べれば,行者像の造立が始められた当初の姿に行き着き,新羅明神像と共通する図像の淵源にたどり着けるのではないかと考えた。その意義・価値;山岳信仰の本尊とされる蔵王権現については,これまでの研究によりその図像の成立が,天台寺門派の秘法とされていた金剛童子などの先行図像に基づくものであると指摘されている。ところが役行者については,これまで等閑視されてきたきらいがあり,図像の成立については不明な点が多い。前述したように,新羅明神と役行者像は半珈,または椅像を中心にしながら坐像,立像も含めて多様な像容の展開を示しており,その持物や服制,開口とする念怒の老相など共通点が多々指摘できる。新羅明神は天台寺門派で祀られてきた守護神であり,もし仮にこの調査研究-52-
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