鹿島美術研究 年報第11号
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マよりも,むしろ扉口の周囲に施される蔓草や怪物,動物,グロテスクなどのモティーフに関心を持ち続けた。本研究は,教養のある人々の残した記録に基づいた従来の歴史研究ではなく,以前には関心の対象外であった従属階級の文化や日常的なことがら周辺的なことがらにも目を向けるようになった「新しい歴史学」に呼応して,美術史学内部でも同様の関心が生まれている,その新しい流れの中に位置づけることができると思っている。単なる装飾的なもの,あるいはキリスト教的テーマとは何の関連性も持たないものと従来見なされてきたこれらのモティーフは,とくに地方の小さな教会堂の装飾では重要な位置を占めることもあり,農民や「知識のない人々」の思想を写し出している可能性もある。ロマネスク図像の解釈から,そうしたイタリア中世の従属階級の世界観を再構成する試みは,中世史全体へも貢献しうるのではないだろうか。⑮ 初期定窯白磁の研究研究者:京都市立芸術大学美術学部助教授伊東徹夫中国河北省曲陽県に窯址の存在する定窯は,「宋代五大名窯」の一つにあげられるとして,古来有名である。定窯の生産の開始は,中国の研究者によって唐代初期に遡ることが指摘されているが,詳細はまだ報告されていない。定窯の最盛期は北宋から金にかけての時代であるが,定窯の製品,特に白磁が北宋代に高い評価を得ることができたのは,五代以前にすでに相当高い水準の製品を生産し得ていたという基盤があったからである。唐を代表する白磁窯といわれる邪州窯は,河北省内丘県という定窯に近い位置にあり,定窯に先がけて優れた白磁を開発したが,定窯がその邪州窯からどのように影響を受けたのか,何時の時点で邪州窯と同等の水準に達したのか,の定窯白磁の特質が邪州窯など他の唐代白磁窯とどのように異なるのか等々の問題点を探ることにより,定窯の初期の様相をより明らかにしたい。それによって,定窯白磁の研究の欠落部を補えるだけでなく,中国陶磁史における中世(2世紀〜9世紀)から近世(10世紀〜20世紀)への転換期において定窯が示した先進性もより明確に指摘できると考える。-54 -

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