て宣言書や日用品に描き込んだ寓意画などは,殆ど見落とされがちであった。美術史家の多くも近代絵画の写実的成果を重視し,画家が目に見える事物をいかに描いたかに注目するあまり,抽象概念を目に見える形に置き換えて描いた寓意画を軽視する傾向があった。しかしイコノロジーの研究が進み,また,アナール派の新たな歴史理解が叫ばれて久しい今日,革命期の象徴の意味を幡き,種々の図像から,文字では語り尽せなかった民衆の心性を汲み取っていこうとする動きが出てきている。革命期の寓意画を研究することは,こうした点から従来のフランス近代美術史に是正を迫るものである。識字率の低かった革命期の民衆にとって,革命のスローガンをわかり易く図解した寓意画は必要不可欠なものであった。単に花鳥風月を愛で,快楽を充足させるためだけではない美術の重要性がここにある。自由,平等,博愛,結合,共和国と主題別に調査を重ねていくことによって,革命期の造形美術が西洋的近代思想を培う上で,要な役割を果したことも明確にすることになろう。⑮ 菅茶山をめぐる画家・文人の研究研究者:広島県立美術館学芸員この研究では,江戸時代後期を代表する漢詩人・菅茶山(1748-1827)とその周辺の画人たちについて,絵画作品と第1次文献資料の両面から探究することによって,当時の画家と文人の交遊の様子を明らかにすることを企画している。茶山の生きた時代は,文人画家に限らず,画家と文人との交流が盛んであり,このため,画家と文人との交遊の実態を,実例を挙げて詳らかにすることは,当時の絵画が生みだされる状況の一つを明らかにすることでもあると考えられる。茶山が交友したのは,頼山陽・平田玉蘊ら広島の画人は無論のこと,池大雅,浦上玉堂・春琴,田能村竹田,谷文晃,蠣崎波響等々奥州から九州にいたる我が国の18■19世紀を代表する画家たちであり,これまで菅家に秘蔵されてきた彼らの作品を調査することによって,中国地方の文化状況という枠を越えて,中央の画家たちの知られざる足跡をも明らかにしうることが期待される。それぞれの絵画は,各画人の新たな基準作として,今後研究資料として高い価値をもつものといえよう。菅家に伝わる絵画及び文献は,ほぼ茶山の時代のままの状態で伝えられているとい川修一61 -
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