っとも注目される法隆寺四騎獅子狩文錦の成立に関して考案を行ってきているが,その基本的な調査研究の一つとして,中国新彊省トルファン,アスターナ古墓(3世紀織物と毛織物)の特徴が入り混じり,複雑な様相を示し,予想されない特異なものもあり,図版の上では確認が難しく,従って中国新弧の現地博物館に赴き,調査することを目的としている。今世紀の初頭,イギリスのスタインやわが国の大谷ミッションによって調査された新橿トルファンのかつての高昌国の墓域は,戦後現地博物館の精力的な発掘調査がなされ,豚しい量の染織資料がスタインらの旧資料に加えられることとなった。漢滅亡後,唐に至る間,それは中国染織史の空白時代と言われて来た。しかし,この期間にこそ,わが上代染織の源流を求めることができるのであって,アスターナ資料の研究は,その観点から極めて重要なのである。これらは,年代資料(墓誌,文書)を伴う墓から出ており,それらによって編年が可能だが,そこでは東西織物が入り雑り,複雑な様相を示し,なかには予想もしない特異な織り方のものもあって,既出論文は訂正を迫られ,まった<予断を許さない現場である。それゆえ,この調査はそう簡単なことではないが,現地調査の意義はすこぶる大きいものと言わねばならない。又,上代染織研究に資するところも多大であろうと考えられる。綿密な打ち合わせによって,日中共同の調査研究は,効果的に行われるであろうと確信している。この時,中国側の方法論が難重されることは言うまでもないことである。⑱ 戦後ドイツ美術におけるドイツ・モダニズムの伝統研究者:立命館大学産業社会部助教授仲間裕戦後のドイツ美術を単に今日的な視野で検討するのではなく,20世紀のドイツ・モダニズムの流れで考察することに意義があると考える。最近の「ブリュッケ」研究では,JillLlayd, German Expressionism, Primitivism る。今日の新表現を考察するうえで,「ブリュッケ」の近代性は,非常に重要な問題を提起している。■8世紀)出土の染織品の編年作業を続けてきた。しかし,この地では東西織物(絹and ModernityあるいはLuciusGrisebach, Brlicke, Aufbruch der Moder ne in Gresden und Berlinに見られるように,その近代性を重視した論文がとくに注目され63 -
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