することにある。ムラデクは,「中部ヨーロッパの影響」(1975)のなかで,マーネスやアレシュといった一世代前の画家たち,さらにはボヘミアの民衆芸術がクプカの芸術形成において深く関与していたことを考察し,フランス人研究者たちによってパリ中心に考えられてきた研究に批判を浴びせ,新たな研究の方向性を開拓した。しかし,より古いゴシックやバロック美術の影響に関しては,ヴァフトヴァー(1968)を始めとする研究者たちによりかねてから指摘されていながら,詳細な研究はいまだになされていない。本研究は,ムラデク論文の基本姿勢を踏襲しながら,クプカ芸術の淵源を浮き彫りにすることを第一の目的とするが,この研究を通じて,これまで殆ど紹介されてこなかったチェコ美術の特質も,ある程度明らかになるはずである。⑮ 東大寺天平仏の研究一法華堂執金剛神像を中心として一研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士課程川瀬由照東大寺の天平彫刻に関する研究は,これまで幾多の論文が提出されてきたが,議論はなかなかかみ合わず諸説一致しない。東大寺に関する史料は『正倉院文書』『東大寺要録』等かなり豊富に残っているが,これら文献に記録される仏像に現存作例を特定することが困難なために議論を複雑にしている。しかし,かろうじて法華堂不空羅索観音像と執金剛神像についてはいくつかの文献史料が残っており,特に執金剛神像を文献上から制作時期・制作背景を考察することは,他の現存する神将像の様式検討のときに基準となるべきものである。また,東大寺に関する文献上の考察はいまだ精緻とはいえず,より詳細な研究により造像の背景も明確になるはずである。さらに,現存する戒壇院・法華堂の諸像に関する様式論も論者によって年代及びそれぞれの前後関係は様々な意見が出されている。だが,東大寺天平仏の論争は七四〇年代の中で考えることで諸説一致している。問題はこれらのどの仏像が同時期制作か分類し,前後関係を明らかにすることである。これを様式の上から検討し,さらに最近の文様や服制,材質技法,像高といった研究を広く総合的に解釈することが東大寺天平仏の彫刻史的位置づけを行い,東大寺史の中での位置を決定する。本研究では,天平彫刻にとって最も重要な作品群の実物研究と周辺史料のより詳細な研究により,彫刻史上の位置づけを行うものである。-68 -
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