春信の膨大な作品の中には,必ずしも絵師春信の特質が見られないものが含まれている。現在のところそれらの一連の作風は,春信晩年の様式変化によるものと解されることが多い。これに関しては丁寧に様式の比較を行なった上で,再検討が必要とされる。春信落款を持つ作品の整理は重要な課題であり,制作年代の限定できる絵本作品は,春信の混沌とした作画状況を整理するための大きな手掛かりになるものである。また春信の没後に刊行された2種類の絵本も,春信作品の制作状況を考える際によい手掛かりになると思われる。この絵本を通じて,人気絵師を中心とした工房制作や代作,また偽作の可能性についても,新たな見解を提示するつもりである。以上春信の版本を取り上げる目的は,ひとつに絵本作品の持つ芸術性を改めて認識することにある。また年記作品を研究することで,未整理のままに放置されている信の画風変遷に言及することも可能と考えるからである。版本は様々な問題を内包する興味深い存在であるが,そもそも版本研究自体が,美術史の中ではやや立ち後れている分野であるといえる。今後も春信作品はもとより,広範囲に渡る版本研究を進めていくつもりである。なおこれらの研究は,近い将来,博士論文としてまとめる意向である。⑲ 清朝磁器の諸相一官窯品と民窯品の比較一研究者:慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程柏木麻里清朝磁器は,中国以外では欧米で長く愛好され,研究されてきた。いっぽう日本では,陶磁器に関する美意識・価値基準が,伝統的に茶陶を中心に形成されてきたためか,技巧的で装飾性の強い清朝磁器はあまりかえりみられることがなかった。しかし,中国陶磁器の通史的展示には,清朝の作品は欠かすことができないものであるし,近年は,92年の大阪市立美術館「清朝工芸の美,秀麗な清朝陶磁を中心に」展,93年の熊本県立美術館「清の磁器・波斯の陶器」展,そして94年の出光美術館「バウアー・コレクション,中国陶磁名品展」など,清朝磁器を中心にすえた展覧会が複数企画されるようになってきた。このような状況は,日本でも,中国陶磁史の最終到達点であり,上質で精緻な作風をもつ清朝磁器の研究が本格的にすすめられるべき時期にきていることを示している。国内の伝世品・出土品に加えて,清朝磁器の世界的コレクションを実地に調査する-76 -
元のページ ../index.html#102