董源の江南山水画の特徴はその遠視的効果をもたらす省略的な描写にあるとされる。所謂遠視的効果とは「其の用筆は甚だ草草にして,近く之を視れば幾んど物の象に類せざるも,遠く観れば則ち景物は菜然として(略)」(沈括・夢渓筆談より)と云われるように,前後景の筆致を変化させ対照し,遠ざかっていく風景が,最終的に墨線か墨点かのような草草とした最小限の筆致にまで還元されることによって創出された。「寒林重汀図」(神戸西宮,黒川古文化研究所所蔵)をはじめ,董源画と称される作例群の遠景表現にみられる,多くの水平線が重なり合わないように画面の上部に配されているのはその特徴とされる。この水平線のような最小限の形作りの筆致は白描画の描線とは最も類似したものであって,趙孟頻が董源の画風から白描画との接点を見付けたのである。従って,「寒林重汀図」の遠景部分を「水村図巻」の主要な中景に転用したことによって,描線化は必然な結果となった。特にその描線は渇筆を使用し,李公麟の伝称作品に時々みられる渇筆風の表現との関係をも指摘しえる。渇筆風の筆墨法は,李公麟とその周辺の白描画では部分的に使用され,例えば人物画や畜獣画においては主題対象へ密接した描写によく使われたのである。尚,渇筆は李公麟の白描画においては文人的な墨戯の意味をも併せもち,白描画の技法として,最も毛筆の本質を極めた筆墨法と考えられる。これらの前代の絵画からその精華を集成している「水村図巻」は強い古典性を示しながらも,唐宋山水画の統一的な空間表現とは違った山水様式を新たに完成させたのである。中国絵画史上,渇筆風の絵画への積極的な評価は,元末の画史著作「図絵宝鑑」(夏文彦著・1365年自序)が絵画の「六要」の一つとして「無墨求染」を提出したのが初めてである。清代の唐岱の「絵事発微」は「筆をして干かしめ墨を枯らし,なお軽筆をもって之を擦る,所謂無墨求染なり。」と説明した。「水村図巻」が示す渇筆風の山水画様式は元末以後の絵画に対して,少なからぬ影響を与えた。今度の発表は「水村図巻」における二つの古典的な要素,つまり葦源と李公麟とのそれぞれの関連について考察したものである。-23-
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