鹿島美術研究 年報第12号
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③ 江戸時代後期の漆器・陶器にみる洋風表現報告者:神戸市立博物館学芸員二つのエキゾティシズムこの発表では,まず江戸時代中一後期(18■19世紀中期)の長崎製輸出漆器のうち,新出資料を中心にその位置づけを行う。とくにヨーロッパ製銅版画に基づいて加飾された「蒔絵による西洋画」という観点から,漆工芸における洋風表現の受容状況を検討する。続いて,日本国内の「阿蘭陀趣味」にあわせて,江戸時代後期の京都で制作された陶器,いわゆる「京阿蘭陀焼」の新出資料と,過去にオランダ製と考えられていた作例にふれ,そこに描かれた文様や西洋風景図を検討し,美術史的位置づけを試みる。有田磁器に代表される硬質磁器を焼造することができる日本窯業が,京都で,意識的に陶器のボディに白釉をかけ,強烈なコバルトによる洋風の絵付けを施した軟陶を造形したことに注目したい。輸入されたデルフト陶器の材質を模倣しているわけで,その白地に西洋的意匠を描きこんだものが多く見られる。つまり京阿蘭陀は,オランダのものよりオランダ的にしつらえられているのである。日本(あるいは東洋)のエキゾティシズムを強く喚起させる漆器をベースにして,西洋的な意匠,器形を造形させたオランダ人。それに対して,輸入されたデルフトの軟陶の材質を珍重し,それを真似て西洋的な意匠をとり入れ,日本的な器形を造形させた日本人。言わば二つのエキゾティシズムの背後にある入り組んだ美意識を,具体例を観察しながら,吟味・検討してみたいのである。蒔絵と,時に螺釧を併用した日本製の漆器は,16世紀末葉から主に平戸,長崎に来航したポルトガル船が持ち帰る高級な土産品として注目されていた。しかし,17世紀初頭以降,オランダ船,イギリス船が交易に加わり,これに応じて漆器の販売量も増加していったと推定される。これらの漆器は,ヨーロッパ人(あるいはイスラム圏の人々の)趣味に合わせた器形,装飾様式で,主として京都で制作されていたと考えられている。その後,鎖国の完成によって,オランダが対ヨーロッパ貿易を独占することになったが,漆器の交易はオランダ東インド会社(V.O.C.)にとって重要なものではなかっ18世紀の輸出漆器岡泰正24 -

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