鹿島美術研究 年報第12号
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⑥ 桃山から江戸前期における美濃焼と唐津焼・伊万里焼の比較研究研究者:佐賀県立九州陶磁文化館本研究は,同じ様式のものが同じ時期に異なる場所で作られたことの意味を考えることを目的とする。美濃と肥前という地理的にかなり離れた地区で,共通した様式のものが作られている。その時代の流行であろうが,それがその時代どのような価値を有していたかによって生産方法は異なってくる。単なる生活用品としての製品であれば,種類が少なく量が多い生産方法がとられたであろう。本研究であつかう対象は,桃山から江戸前期にかけて隆盛した佗び茶のための茶陶を中心とする。一般の陶磁器よりかなり恣意的に作られるものであり,注文主の趣味が強く反映する。美濃は京都にも近く,茶人たちの需要に応じやすい地理上の利点があった。一方,陶磁器の生産は一方では産業的な面が重要であり,唐津は朝鮮半島からの技術導入により産業面では美濃より進んでいた。唐津の連房式登窯が17世紀初頭に美濃に導入されて,美濃の陶業技術は革新された。しかしデザイン面では美濃の方がおそらく時代の流行をいちはやくとり入れ,唐津焼に影響を与えたと考えられる。多様で個性的な桃山茶陶の出現は,美濃のデザインと唐津の技術の融合を侯って初めて達成されたものであろう。また江戸期にはいると伊万里焼が始まり,茶陶の枠組から大きくはずれて新たな展開をむかえる。個性的な茶陶から中国的で産業的な伊万里焼の時代へと移った。磁器産業が19世紀まで実現しなかった美濃では,磁器を模倣したと考えられる御深井釉陶器が17世紀中葉に盛んとなり,その作品の中には伊万里焼に類似するものがいくつか見い出される。これらの共通作品を多く検証することで,美濃と肥前という日本を代表する生産地の動向と,美術作品としての茶陶から産業として飛躍する伊万里焼までの変遷を,美術と産業の観点からも解明したい。⑦ 中国における観音菩薩像の研究研究者:神戸大学大学院文化学研究科博士課程仏教の起源地であるインドをはじめ,仏教文化圏の各国,中国・朝鮮・日本乃至南伝仏教と言われるタイ・ベトナムなどの国でも観音菩薩の信仰がある。各国の観音菩薩像も様々の容像が見られる。とくに中国・朝鮮・日本という三国は古くから文化交鈴田由紀夫播亮文-41 -

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