ことはないのであろうか。本研究では清涼寺像の将来が,それに続く時期の藤原彫刻の成立に作用を及ぼした可能性について検討したい。またこれ以後,平安時代末までの約二世紀の間に清涼寺像信仰が次第に拡がりを見せる中で,その像容が特殊なかたちで造仏に取り入れられることに注目し,この現象の持つ意味について考えてみたい。本研究を通じて人々が仏像をどういうものとして捉え,仏像に何を求めたかという,宗教美術にとって根本的な問題への視野が開けることが期待される。⑬ 狩野常信とその画業に関する研究研究者:東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程松嶋雅人狩野常信に関して,これまでは創作面で,探幽を追随する絵師とみなされるのみで,個別的作品の研究以外,全体的な作品研究は行われてはおらず,常信の具体的な画業とその意味を問う考察も十分に行われてこなかった。そのため,探幽没後の狩野派の研究は主に江戸時代後半の伊川院,晴川院及び幕末明治期の狩野芳崖,橋本雅邦といった絵師を中心になされてきたといえる。したがって,探幽の次世代の絵師である常信は,ほとんど研究対象として取りあげられずにいた。しかし,江戸時代の狩野派研究にとって,常信は無視できない重要な絵師とみなすことができ,その画業の全体像を明確にすることが本研究の第一の目的である。また,近年にみられる狩野派を再評価する研究の中で,重要な意味をもつ,狩野派における「粉本主義」をどのように理解するかという問題は,常信作品が,いかに狩野派にとって重要な役割を担っているのかを考えることによって,粉本の実体の一面を知ることができるとすれば,本研究によって大きな進捗が望めると考えている。⑭ 日本の近・現代美術における琳派の受容研究:山種美術館学芸員塩谷今日,いわゆる琳派の作品は「装飾性」「平面的」といった語を伴いながら,日本美術を語る上での格好のサンプルとなっている。また琳派の祖である俵屋宗達は日本を代表する最も「日本的な」画家の筆頭格として,高く評価されている。本研究はこれらの見解に敢えて異を唱えようとするものではない。しかしながらそうした琳派観-46 -純
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