鹿島美術研究 年報第12号
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⑰ 九州の八幡縁起絵と天神縁起絵研究者:福岡市博物館地方の社寺が所蔵する縁起絵は,これまであまり注目される機会はなかった。しかし,以下の点に留意するならば,これらの研究を行うことは有意義であると考える。まずは,中央作のものがもたらされたのか,あるいは九州で制作されたものかという点である。中央作については,作者はもちろんのこと,どのような形で九州へもたらされたのか調べる必要がある。いかなる人物が絵巻を九州へもたらしたか解明することは,絵画史だけでなく近世筑前における文化交流史を考える上でも興味深い。次に縁起絵制作の目的である。九州に現存する八幡縁起絵や天神縁起絵のほとんどは布教を主な目的としたものである。そのため絵解きに使用されていたと考えられる縁起絵がある。それらの多くは掛幅装で,なかには「玉垂宮縁起絵」のように絵解き文が付されているものもある。また,作者も在地の絵師と考えられるものも多い。彼らは絵師として生業をたてていたというより直接民衆に布教活動を行った僧であったと考えられる。これまであまり布教活動の末端で,どのような縁起絵が使用されていたかほとんど知られていなかったが,諸氏の指摘のように多くの御伽草子の末尾文は仏の加護を唱えるものである。これらの縁起絵を考察することは,一つの宗派が流布していく過程で,どのように絵画が描かれ,語られていったのか,さらには御伽草子の源流を知る上で,意味あることと思われる。⑱ 1920年代から1930年代の日本におけるセザニズム(セザンヌ芸術の受容と紹介)研究者:京都国立近代美術館主任研究官永井隆則セザニスム研究に関しては,これまで土方定ー,匠秀夫,池上忠治,原田平作氏らによってなされてきたが本研究はこれらを補完し発展させるものである。評論,エッセイの形でしか語られてこなかったセザニスムを本格的に調査するもので,体系的,網羅的な調査研究を特色としている。本研究によって,第一に,日本におけるセザンヌ受容の実態がはじめて明らかにされるといっても第二に,本研究は,JudithWechsler (Cezanne in Perspective, 1975), P. M. 下原美保ではないと思う。Doran (Conversation avec Cezanne, 1978), John Rewald (Cezanne and Amer--49 -

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