-mをはじめとして,こうした動現在概ね彼の初期の画業に関心が集中している。もう一つの柱をなしてきた図像解釈学的な探求はもっぱら比較的初期の神話画あるいは1640年代後半以降の風景画に関心が向けられている。さらに比較的新しい傾向として,プッサンの作品の収集家の研究,彼の芸術理論のより詳細な研究があげられよう。したがって申請者の1630年代40年代の物語画の研究の関心は,こうした研究の動向における欠落を補うものであるのである。また,個々の作例の研究を積み重ねることにより作家の制作過程のありようが明確に把握されるようになり,ひいては彼の「造形的教養」の範囲を正確に見定めることが可能になってくるであろう。⑳ パリの日本人画家たち一高野三三男の場合一研究者:目黒区美術館主任学芸員矢内みどり1920, 30年代のパリには,それまでの西洋絵画の折衷的な踏襲や,翻訳的な解釈にとどまる日本の美術界に飽き足らず,当時のフランスの前衛的な画家に直接教えを受けようと,反アカデミックな自己の個性を生かした絵画の創造に意欲を燃やしてパリを訪れる日本画家が多く見られた。しかし,相変わらずその多くは,前衛的な美術傾向を学んで,それを日本に持ち帰り,風土性と自已の感性にあわせて日本的に展開するものであった。一方,藤田嗣治とその周辺作家の中には,きとは異なる要素を見ることができる。高野は,官能的な女性像,アンソール風の怪奇的要素,ロココ趣味,文学的志向などにみられる独自の画風という点で,当時の日本人画家としては珍しい存在であった。師の藤田とも異なるこの傾向がどのように形成されていったのか,その経過を明らかにすることはたいへん意義あることと考えている。また,高野作品はパリ人趣味とされ,藤田についでフランスで評価を得たともいわれている。もしこれが事実であれば,これを論証することで,高野の特異な作風に影を与えたフランス美術を明らかにし,また高野がフランスで受け入れられた要素をも併せて探ることができる。そして,それは日本美術とフランス美術のひとつの接点を浮かび上がらせることになるであろう。当時のパリで,フランス美術界の奥深くまで入り込んだ日本人画家といえる藤田の-51 -
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