鹿島美術研究 年報第12号
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至近距離にいた高野三三男の,フランスでの活動や作品を調査することで,藤田論に関しても新しい局面が切り開かれる可能性があるのは勿論である。そして,これまでの日本人画家の西洋美術の受容史の中での取り上げ方とは異なった視点から,パリにおける藤田とその周辺画家の真実の姿を明らかにしたい。この結果,美術史における小さな虫喰いが補修されるとすれば,その意義はたいへん大きなものになるだろう。⑪ 江戸時代後期絵画の実景表現に関する研究ー谷文晃筆「公余探勝図」とその影響一研究者:お茶の水女子大学教務補佐員鶴岡明美(旧姓岸本)その成立時には画期的なものであった「公余探勝図」の表現は,伝統的な絵画制作と密接に関わりながら,江戸末期にはすこぶる広範囲に及んでいた点,まさに注目に値しよう。と同時に,こうした表現が近代以降の風景への眼差しにいかなる影響を与えたかについての考察も,近代風景画について語る上で欠くことはできない。このように江戸時代の現象としてのみならず,近代への影響という点においても大いに重要と考えられるにもかかわらず,これらの諸作例についての系統立った考察は未だなされておらず,幾つかの作品についての各論が散発的に見られるというのが現状である。本研究はこうした状況に鑑み,以下の筋道に従い考察を及ぼすことを試みるものである。①「公余探勝図」成立の契機についての再検討ー「公余探勝図」の制作が,江戸湾防備という実用目的に供するものであった可能性については,これまでも指摘されてきた。この指摘を踏まえ,さらに本作品の持つ諸特徴を当時の状況ーすなわち名所図会や地誌類の発行状況や,測量学や兵学の発達状況などーと仔細に照らし合わせることにより,本作品の成立を準備したものについて改めて検討を加えることにしたい。②「公余探勝図」的表現の継承ー多数の実景図を調査し,その表現パターンを分析する。さらにそのなかから数図を抽出して実際の景観との比較を行い,絵画化の際の工夫を読み取る。こうした一連の考察から,これらの諸作例の主たる制作動機として考えられている「実用性」がどの程度の妥当性を有しているかという点も含め,表現の系譜が一層具体性を帯びたものになるであろう。さらに実用目的以外にこうした表現の発達を支えていたと考えられる要因について,今のところ二点指摘することができる。一つは彼らの描いた実景図を鑑賞することを楽しみとする風景愛好家の存在で-52 -

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