ンターの実態を明らかにするのに最適であると判断したことによる。今回の調査研究では,具体的には漢中地区という地域的小文化センターにおける漢魏六朝時代美術と各大文化センターと比較検討をおこなうことで,漢中地区の美術が他の大文化センターとどのような影響関係にあり,またそこからの影響をどのように変容させて定着させていったかを明らかにする。これにより従来大文化センターを中心に一元的あるいは南北二元的に捉えられてきた漢魏六朝美術像とは異なった,小文化センターにおける独自の文化形成の様子について,興味深いサンプルが得られることになり,さらにそれを基礎として今後周囲の地域との比較検討が可能となるのである。このように今回の研究は小文化センターの研究というこれまでの漢魏六朝美術史研究にはない新たな視点によるものであるところに意義をもつものである。⑫ 土佐光茂・狩野元信に関する基礎的作品研究と「和」「漢」概念の再検討研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程亀井若菜土佐光茂作,あるいはその様式をとどめる作品として,近年いくつかのものが新たに考えられるようになった。例えば,今治市河野美術館蔵「源氏物語図屏風」,仁和寺蔵「車争図屏風」,静嘉堂文庫蔵「堅田図屏風」などである。これらのうち,「堅田図屏風」は水墨を基本とした作品である。また今治市河野美術館蔵「源氏物語図屏風」も,金泥引きがなされ著色画ではあるものの,紙の地の上に墨やわずかな彩色のみで描かれる部分も多く,源氏絵としては,異例のものと言える。これらの作品は,これまでの概念を越えるものとして,特筆すべき作品である。一方,漢画の絵師である狩野元信も,「釈迦堂縁起絵巻」など濃彩の絵巻作品を,比較的初期の頃に制作している。本研究の目的は,十六世紀前半期の狩野派と土佐派を考える際の従来の基本的な枠となっていたく土佐=濃彩画=和〉<狩野=水墨画=漢〉といった枠組自体を問いなおすことにある。そのためには,まず光茂筆あるいはその周辺作と推測されている上述の作品について,調査を行い,その絵の画風が光茂の基準作とどの程度近いのかを決める必要があろう。それによって,光茂画の幅を,改めて考えてみなくてはならないことになろう。また,光茂の絵画の画風の幅が,何によって決まったのかについても考えてみたい。-61-
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