各作品の注文主の意向や,作品の鑑賞の場の推定が重要となろう。これらについては,同様のことを元信画についても行いたい。私が,上述の枠組を問いなおすべきであると考えるに至った理由の一つには,元信の「清涼寺縁起絵巻」が,元時代の著色の「仏伝図」(掛幅13幅・鹿児島県歴史資料センター蔵)に,色彩や形態,画面の構成なども類似しているように思われたことがある。この絵巻については,従来,色彩感覚は鎌倉時代の高階隆兼系の絵から,画面形式は水墨の漢画から摂取したとされ,和漢を融合した絵であるとされてきた。しかし,色彩も形態も著色の中国画をもとに描かれているのだとすれば,本絵巻は,濃彩の画面によって「漢」そのものを見せる絵であるとも言えるものとなろう。室町時代の絵画作品とされる新出の作品は相次いで紹介されており,光茂筆あるいは元信筆と推測される作品も多く指摘されるようになった。個々の作品研究とあわせ,土佐・狩野を考える大きな枠を問いなおすべきときにも来ているように思う。本研究では,光茂・元信というこの時期の二大絵師の作品研究を行いつつ,その二人を考える枠の問いなおしをも,行っていきたいと考えている。⑬ 救苦を主題とする中国日本古代仏教版画の系譜研究者:実践女子大学非常勤講師福原庸子中国・日本で制作された仏教版画に関しては先学による多くの研究がなされてきた。ーロに仏教版画と言っても印仏や摺仏など仏菩薩の像容を表したものから扉絵や挿図に経典の内容を図説した版経など様々な形態がある。これらを対象とする従来の研究で特徴的なのは,種類別に区別して特定の作例を扱う傾向が強いことである。例えば法華経の図入り版経に関する調査研究はさかんに行われてきた。今回私が目指しているのは,救苦のテーマと印刷という今までになかった括り方で幅広く研究対象を求めていくことである。また,この研究の成果は単に仏教版画の枠に留まるものではなく,遣品の極めて乏しい中国仏教絵画(特に画巻形式)の鋏を補うことにもつながり,ジャンルを越えた価値を有するであろう。その好例が私がこれまで研究してきた米国メトロポリタン美術館所蔵の鎌倉期1257年に制作された『観音経絵巻』である。この絵巻は践文から,南宋の僧が描いた絵入り観音経を1208年に印刻した図入り版本を参考にして制作されたことが判り,宋画の影聾ならびに大和絵との交渉を考える上で重要62 -
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