鹿島美術研究 年報第12号
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な作品であるが,もとの絵も版本も現存しないためそれらとの関係については明らかにされていないのが現状である。このような作品が日本で誕生するまでの流れを救苦の経典と印刷の関係という観点から捉え,思想的背景を追求することは『観音経絵巻』の研究の一環としても重要な部分を占める。従来の仏教版画研究について今ひとえることは,印刷という行為そのものに注目した研究がほとんど見られないという点である。唐から宋へと印刷技術が進歩するとともに需要に応じた大量制作が可能になったという実用面のみが二義的に扱われてきた。ところが,これから行おうとする研究では,印刷か単なる技術手段ではなく霊験成就につながる宗教的行為として認識されていたことが実例より推測され,新しい視点で印刷の意義に焦点を当てることになる。また研究対象とする仏教版画の中には部分的な図版掲載がされているのみで詳細な研究を待つものも少なくないことから,私の研究が個々の作品の検討にもなり,様式的な流れを押える上でも役立つことが期待される。⑭ 1920年から1925年にみられるマルセル・デュシャンの視覚的作品についての考察研究者:大阪大学大学院人文科学研究科博士後期課程田中不二夫これまでデュシャンの芸術の美術史的な意義は,50年代以降のネオ・ダダ,ポップ・アート,コンセプチュアル・アートといった反芸術との歴史的な繋がりから主張されてきた。そのため,デュシャンに関する研究においては,反芸術のオブジェとしてのレディ・メイドが研究対象として取りあげられることが多く,1920年以降の視覚的なデュシャンの作品については,ロザリンド・クラウスらによる批評的な分析がわずかに存在するだけで,制作当時にデュシャンが直面していた問題や,同時代の芸術との関連から具体的に分析し,検討するということがほとんど行われてこなかった。しかし,1920年以降のデュシャンの芸術の特質を浮かび上がらせることは,デュシャンの芸術の多面性をとらえるという意味でも意義深い試みであり,同時に,デュシャンが追求し続けた芸術表現の核心をとらえるためには不可欠でさえある。このような試みによって,レディ・メイドをも含めたデュシャンの芸術全般に対する新しい視点を提示することが可能になると思われる。またデュシャンの芸術は,これまで,抽象絵画を中心とするモダニズム美術の流れに対立するものとしてとらえられてきたが,クレメント・グリンバーグやマイケル・-63

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