と一体化した現代の大規模な造園,ランドスケープ?アーキテクチャーに継承されている。しかし私見では,十八世紀とそれ以降の造園の間には隠れた断絶がある。その正確な把握は,現代造園の深化と批判に資するであろう。⑯ 十三〜十五世紀における観無量寿経変相図の研究研究者:徳川美術館学芸員山川この研究の構想は,私が修士論文で取り上げた「長香寺本観無量寿経十六観変相図」の考察を進めるに当たって,保留にせざるを得なかった諸問題に端を発している。この作品は当初は中国の南宋時代の作と鑑せられ,後に鎌倉時代の作品との説も提唱されていたが,考察の結果,私は明らかに日本で製作された作品との結論を得た(刊行物には未発表)。このように,13-15世紀の観無量寿経に関わる作品は,製作地・年代などについて未だ充分な考察が進められていない状況にある。また,作品によっては描かれたモチーフがどのような経典,疏に由来しているのか,そのイメージの拠り所が明らかになっていない作品も見受けられる。さらに,日本で独自の発展を遂げた浄土経典への信仰の中で,同時代の請来仏画がどのような場所でどんな風に受容されていたかについても,いま一歩踏み込んだ研究が必要であるとの思いを深くした。ここに提出する研究構想は,そのような13-15世紀の東アジア文化圏の観無量寿経の変相図に焦点を絞った基礎的な研究である。多くの戦乱や廃仏などにより中国や朝鮮半島の美術作品の大部分が失われた今日,断片的ではあっても日本に伝えられた東アジアの作品を丁寧に整理していくことは,かつてそこで花開いた仏教や芸術のありさまを考えるための意義深い作業と確信する。また,日本の仏教美術を研究していくうえで東アジア諸国からの影響とその受容・展開は大きなテーマであることは論をまたない。本研究のように請来絵画とその影響の元に日本で製作された作品を同時に考えていく試みは,当時の日本人が請来品から何を選び取りどのように自分のものとして展開させていったかという,日本仏教美術の特質に根ざす問題を考察するためにも有益であろう。暁65 -
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