鹿島美術研究 年報第12号
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ティークであり,それらの実験的な空間への造型上の試みを,グロステストゆかりの大聖堂建築に探ること_が,本研究の目的,構想理由である。⑩ 湛慶様式に関する基礎的研究研究者:神奈川県立博物館主任学芸貝塩澤寛樹湛慶及び湛慶様式に関する研究は,個別作例研究やそれに基づく新しい視点での展開などが決して十分になされているとはいえない状況にある。それは例えば,基本作例である高知・雪践寺薬師三尊像に対する見解が分かれていることに代表されよう。こうした現状は,基本作例についての基礎的データの不足や個別作例研究の遅れにより,湛慶様式がやや漠然と把握されるに留まっている部分があることや,より根本的には湛慶の作風の理解が未だ不十分であるところに問題点があろう。本研究は実地調査によって基礎的データを作成し,それをふまえて基本作例の見直しを行い,湛慶の作風を再検討し,湛慶様式の広がりと個性を明らかにし,鎌倉彫刻史における湛慶様式をより一層幅広い材料できめ細かに理解することを目指すものである。これにより上記の問題点の解消に貢献し得るものと考える。さらに,従来比較的遅れている側面として,作例の背景にある願主と仏師という側面から,主に文献的方法からアプローチを進めたい。ことに御家人と仏師のつながりを探ることは重要で,御家人の所領の移動や全国的広がりとの関連という視点を加味することによって,湛慶様式研究に新たな進展がなされ得るものと考える。湛慶様式の普及は,一面で鎌倉新様式の各地への広がりという意味を持っていたように思われる。それ故,運慶・快慶らの様式が彼らの強烈な個性を反映した一種個人様式の意味あいが強いとすれば,むしろこうした湛慶様式が時代様式としての意義を含んでいたようにも思われる。とすれば,湛慶様式の理解が鎌倉彫刻史を考える上で鍵を握る重要な問題となろう。本研究は綿密な検討とより総合的な視点からの考察により湛慶様式の,ひいては鎌倉彫刻史の全体像解明に貢献することを試みるものである。-68 -

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