(1) 光背の文様については,かつて帥元興寺文化財研究所に在籍していたとき板光背(2) 文様の研究には資料となり得る実測図面が必要であるが,実測図面の作成には研価値本研究の最終的な目的はいまは現存しない大安寺釈迦像にある。しかし採った方法は,平安時代に模古作として制作された光背の文様を手がかりにするため,当面明らかにしなければならないことは,現存光背が手本とした原光背の制作年代を比定することである。それは単に類例を求めて類比的に明らかにできることではなく,7C中葉から8C後半にいたる日本における文様の展開を組み立てることによって始めて可能となるであろう。したがって本研究の大半を占め,中心となるのは文様の展開に関する研究である。構想理由の調査をしたことがあり,比較資料として研究所の資料が使用可能である。究所に所属する考古学関係者の協力が得られる。⑰ 戦後日本美術における屋外作品の成立と展開研究者:広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期美術史において,屋外で目にすることのできる作品といえば長い間,モニュメントとしての彫刻作品か建築の装飾的要素等に限られていた。ところが20世紀に入り作品が再現的表象性から次第に自已言及性を強めていくに従って彫刻に担わされていたモニュメンタリティは影をひそめ,これまでとは異なる文脈に立つ屋外作品が多く見られるようになった。つまりこれらの作品は従来の「彫刻」概念を揺さぶるような形態を有し,美術の新たな可能性を開くため,あるいは美術の閉塞的な状況を打破するための手段として,あえて美術館でもギャラリーでもなく屋外を設置場所として求めたのである。例えばクリストは1960年代より公共物を梱包するプロジェクトを開始し,60年代終盤にはアース・ワークと呼ばれる大地や自然を対象に作品を制作する試みも見受けられるようになった。またアメリカでは1977年,パブリック・アート基金組織が設立され,都市の中における美術の機能をテーマに積極的な活動が行われている。本麻美-74
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