鹿島美術研究 年報第13号
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日本でも1955年具体美術協会による松林での野外展を始め,65年には関根伸夫が「もの派」の祈念碑的作品といえる野外プロジェクト「位相ー大地」を制作,70年以降は各地で野外彫刻展が催され屋外ならではの作品の在り方について模索が続けられている。また近年ではより身近な生活空間の中でのプロジェクト,展覧会も珍しくない。戦後,モダン・アートの行き詰まりとともに従来の進化論的な美術史観に疑念が持たれるなかで,美術が一つの制度であることが認識され,美術館はその一端を担うに過ぎないことが判明した。美術家は隔絶した社会と美術との間の溝を埋めようと,あるいは制度としての美術に抵抗するために美術館の外へ飛び出した。屋外を展示•発表の場とする美術作品には,今後の美術動向の鍵を握る,根本的かつ今日的な問題が含まれているのである。こうした作品群を一つの系譜としてまとめ,作品が成立した背景を詳しく辿っていく作業は,これまで個別に扱われてきたランド・アート,野外彫刻,都市空間プロジェクト等を野外展示として統括するだけでなく,美術館の機能とその限界,美術の社会的側面,作品を生み出すメカニズムをも明らかにして行くことになるだろう。また野外展示に関する資料や文献はこれまで数が少なく,収集した資料のデータベース化は今後の研究に不可欠な資料になる。⑱ 19世紀のベルギーの美術をめぐる諸制度研究者:早稲田大学大学院文学研究科研究生龍野有19世紀のベルギー絵画は,一般にフランス絵画の傍流と見倣され易い。確かにフランデレン語圏の中の仏語言語島であった首都ブリュッセルは,実質的にパリの衛星都市としての役割を果たしており,フランスからの亡命者の迎え入れられ易い土地柄であった。この町に亡命したダヴィッドが移植した新古典主義がこの地のアカデミスムの出発点を築いたことは周知の事実であろう。この系譜は彼の弟子のナヴェズを経て,象徴派の画家たちの師ポルタールスにまで続く。しかしこうした図式は,例えば,アントウエルペンにはうまく当てはまらない。この地では,新古典主義は18世紀風に甘美化したフランドル風俗画の中にのみこまれ,その後のロマン主義世代のこじんまりとしたリューベンス主義に済し崩しにつながっているかに見える。しかも世紀中葉には,レイスがプレ・リューベニスムに,その弟子のデ・ブラーケレールは17世紀オランダ風俗画風の表現に向かう。もっとも彼らは-75 -

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