鹿島美術研究 年報第13号
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アカデミシャンではなく,傑出した市井の画家にとどまってはいる。これらと平行して,改めて,古典主義的かつリューベンス主義的なアカデミスムが形成され,これは最終四半世紀まで命脈を保つ。ブリュッセルでは,クールベに刺激された社会派レアリスムとバルビゾン派と連動するテルフューレン派の風景画家たちが,早い時期に前衛を形成したが,これとは対照的な伝統主義的性格をアントウエルペンは持っている。プリュッセルとアントウエルペンは,ベルギーにおける二大都市であったが,その周辺でも比較的近距離で,サロンの開催地であるヘントや,司都都市にして世紀後半には工業都市となるリェージュなどが,各々の伝統を持つ地方画壇を形成していた。こうした様々な美術状況を実際に支えていた制度や組織を具体的に明らかにすることによって初めて,単なる抽象論としてではなく,作品の制作と享受の実態が理解できるものと申請者は考えている。-76-

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