面の仕切り壁によって前景と中景が分けられ,開かれた扉のモチーフによって中景と後景が区切られると同時に連結される。室内図のこのような層状の空間構成は,ヘレニズム美術にみられる現実空間の再現への関心の萌芽を示し,その後ローマ美術の壁画上に踏襲される。また,各三層に配された登場人物,すなわち,若い侍女(後景),乳母(中景),ヘディステの夫(前景),の作りだす逆S字型の視線の動きは,観賞者の視線を巧みにヘディステの上体に導く。その結果,構図のなかでヘディステの像が強調される。ヘレニズム期の墓碑は,拡大されたギリシア世界の各地,例えばエジプトのアレクサンドリア,小アジア半島イオニア地方,北部ギリシアなどから出土するが,一般に,紀元前5,4世紀のアッティカの浮き彫り墓碑の様式からの影響が如実にみてとれる。アッティカの墓碑では,死者を,家族に囲まれた,生きているそのままの姿で表わし,死者を死者として,横臥永眠の姿で表すことは原則としてなかった。同時に,前5世紀におもに墓石に供えられた香油瓶白地レキュトスには,伝統的に,墓辺図や通夜の図が描かれ,死者を死者として描くことを敢えて避けることはない。そして,死者を表現する際,この浮き彫り墓碑と白地レキュトスにみられる二つの表現内容は,多くの場合,重複することなく明確に区別されていた。この状況がヘレニズム期になると変化する。すなわち,ヘレニズム期の彩色墓碑は,アッティカの浮き彫り墓碑と白地レキュトスの伝統の両者を合わせもつ表現となっている。「ヘディステの墓碑」はその好例であり,死者(ヘディステ)が,死後直後,寝台に横たわる痛々しい半裸の状態で写実的に描出されている。なぜ,死者をこのように迫真的に,また奥行きのある特定の室内空間のなかに描き出したのだろうか。さて,古代ギリシアの社会において,女性の産褥の床における死は,男性の戦場における死と比肩する,もっとも名誉あるとされた死の形態であった。ヘディステの死体の写実的描写も,ヘレニズム期の美術に顕著となる,特異な肉体の状態を表現することへの関心に加えて,女性の社会的役割の一つ,すなわち「市民を生む役割」を視覚的に再確識する意味を示すと考えられる。この場合,個人の画家の意図というよりは,背景となる社会の価値観が表れていると考える方が妥当であろう。パルテノン神殿のフリーズの市民の行列において,個々の市民の個性を表現するのではなく,社会における「役割」を体現するかたちで人物造形がなされたように,ヘレニズム期の墓碑においても,その社会が理想とする女性像が描出されたと考えられる。ヘレニズム-25-
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