期とクラシック期の違いは,ヘレニズム期において,特定の場面設定への関心が高まり,特定の状況における写実(例えば,死後直後の時間の設定,室内空間の設定)に価値がおかれた点であろう。ヘレニズム期の墓碑は,以上のような観点から考察すると,単なる大衆芸術の一例という以上に,社会におけるイデオロギー伝達の手段の一部として,なおかつ,クラシック期の葬礼伝統を受け継ぎ,変容し,また,ローマ絵画へとつながる空間表現を含む,複合的なメッセージを現代の我々に伝えてくれるのではないだろうか。④ 「瀬戸内海沿岸に所在する中国・朝鮮半島の仏像•仏画の研究」報告者:円明院住職武田和昭大陸あるいは朝鮮半島から仏教が伝播する主要なコースとして,日本海ルート及び北九州から瀬戸内海を通過し,難波にいたる瀬戸内海ルートがある。前者には出雲・若狭さらに能登などに,中国や朝鮮半島の仏像や仏画などの存在がいくつか確認されている。一方,後者はより鮮明にその傾向が強いと考えられているが,その遺品についての具体的な所在については明確にされていない。本研究では地誌類や市町村誌などを博捜して,中国や朝鮮半島から渡来・請来された仏像や仏画の所在確認を行い,さらにそのうち特に重要なものについて,いささかの検討を加えることとしたい。まず調査対象範囲は福岡・大分・山ロ・広島・岡山・兵庫・大阪・和歌山・徳已・香川・愛媛県の11府県の瀬戸内海沿岸の寺院とし,実際に調査した箇所は70ヶ所余,調査確認した仏像は19点,仏画は53点(81幅)であった。これらのうち,すでに重要文化財や県文化財に指定されているものもあるが,多くは今回の調査によって確認したものである。さて確認した所在地をみると,いくつかの特徴がみいだされる。まず,高麗時代の仏像が山口県に数多くみられることで,これは中世に周防を本拠とした大内氏の存在によると考えてよい。例えば大内義弘・持世・盛見などは朝鮮半島との交流を盛んにしたが,なかでも盛見は仏教に大きな関心を持ち,大蔵経を求めたことが知られる。また古代朝鮮で制作されたとみられる香川・六万寺の金銅如来形立像三体や愛媛・善応寺の金銅釈迦誕生仏などは,寺近在から近世に出土したことを考慮すれば,古くからすでにその地に所在していた可能性があり,渡来人との関係が興味深い。特に後-26-
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