鹿島美術研究 年報第13号
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者は地方では珍しい木心乾漆像が所蔵される北条市庄地区薬師堂に近く,こうしたこととの関連も見過ごすことはできないであろう。なお中世の瀬戸内海には河野水軍・塩飽水軍などが存在し,優れた航海技術を持ち,なかには遠く中国南岸や朝鮮半島などに雄飛したという。こうした海外交易のなかで,仏教関係の品々も持ち寄られたことは容易に想像されよう。例えば塩飽水軍の根拠地の香川県丸亀市本島や直島には,李朝時代や中国元・明時代の仏像•仏画が数点も所在している。この他にも,もちろん入宋僧なども請来に関与したことはいうまでもなかろう。つぎに尊像別にみれば,仏像では釈迦誕生仏が六例もある。これは請来に際して運搬が容易なことが,まず考えられよう。仏画においては阿弥陀如来,楊柳観音・地蔵十王図・十王図などが多く見られ注目されるが,これらは彼の地にあっても時代を越えて広く信仰流布されていたもので,請来に係わったものの選択した結果とは思われない。また李朝時代前期の仏画が他地域に比べて格段に多いことも特徴的である。これについては「文禄・慶長の役」に際して持ち帰ったものと一般的に考えられている。この時期,朝鮮半島では排仏崇儒の時代で,おそらく仏像や仏画などはあまり重視されず,比較的入手しやすかったことが考えられ,その時代背景を熟慮すべきであろう。なお,香川・長寿院の麻布著色釈迦六大菩薩図は現状は掛幅装であるが,八ツ折りにした折り目がみられ,持ち帰る際に小さく折りたたんだものとみられる。以上,様々の要素を推察したが,残念ながらほとんどの作品について信頼すべき伝来は残されていないのが現状である。つぎに主要な作品について一瞥したい。まず,香川・六万寺の金銅如来形立像三体は『讃岐国名勝図会』(嘉永7年ー1854)に貞享5年(1688)に寺の近くから掘り出されたことが記されている。そのうち一号像は袈裟を通肩に着け,施無畏,与願印を結び裳の両裾を左右に広げ,肉髯を大きく作り,面相は僅かに微笑をたたえ,背中に大きな口がみられ,おそらく一光三尊形式の三国時代(6世紀末〜7世紀初期)の制作であろう。朝鮮半島から,古くわが国に伝来した貴重な像といえよう。大阪・叡福寺の絹本著色涅槃変相図は画中の墨書から『大般涅槃経後分』などを元にして制作された南宋画である。その図像は広島・耕三寺本や香川・常徳寺本など,わが国の鎌倉時代の涅槃変相図と図像が酷似していることから,叡福寺本のような涅-27-

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