鹿島美術研究 年報第13号
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14世紀にかけての頂相が数多く伝存する。禅宗文化の渡来・定着期における頂相制作ョニズムとも深く関わるものと推測されるが,このことが縦長の画面形式を規定すると共に,6枚組・12枚組といったセットとしての絵画制作を行わせるものであって,世に多く伝わる宗達の水墨画にもそのような制作環境が想定されるのである。慶長年間の宗達作品は,同時期の狩野派・長谷川派・土佐派などの絵画,楽茶碗や織部といった茶道工芸,辻が花を代表とする染織品と,その表現様式を共有していることが認められる。したがって,本研究においては慶長期を中心とする時代の絵画や工芸作品の実地調査と文献史料の検討を広く行って,造形史における慶長期の性格を明らかにするとともに,共時的に認められる様式を分析,抽出することによって,あらためて同時代の造形活動のなかに宗達を位置付けようと試みるものである。③ 頂相の研究_京都願成寺蔵仏通禅師画像を中心として_研究者:東北大学文学部助手樋口智之わが国禅宗寺院の草分け的存在である東福寺,及びその塔頭には,13世紀半ばからの有様を知る上で,東福寺の頂相群を無視することはできない。しかし,その研究は未だ十分とはいえない。そこで,東福寺頂相群の研究の端緒として,願成寺所蔵仏通禅師擬冗大慧像(正安3年<1301〉自賛)を取り上げる。本画像は,国宝無準師範像と,形が一致する部分がかなりあり,また様式的にも無準像の影響を受けている。中国より請来された頂相を手本として,わが国の頂相の歴史は始まったとされるが,本画像の分析によって,その具体的様相の一つを知ることができるだろう。一方,無準像に倣わず独自の表現をとるのが袈裟の部分である。これは禅宗における袈裟の重要性が画像に反映している例として,言いかえれば頂相制作の際の配慮を見出せる例として注目される。他の頂相の型を借り,そこに巧みに像主のアイデンティティを滑り込ませる本画像の研究は,肖像画制作において依頼主や画家たちが何を命題としたか,という肖像画史研究の重要なテーマの研究材料に,ュニークな一例を加えるものと考える。-40 -

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