鹿島美術研究 年報第13号
70/110

考える。⑧ 山梨県における鎌倉前期彫刻について研究者:甲府市文化財調査審議会委員鈴木麻里子本調査研究の目的は,従来等閑視されていた山梨県の造像のうち特に鎌倉時代前期のそれを新たな視点から見直し,彫刻史の中に正しく位置付けると共に,鎌倉前期彫刻史研究の視野をさらに拡げようとすることにある。前項に述べたように,この時代の造像活動を推進したのは甲斐源氏と呼ばれる人々であった。彼らは清和源氏の流れをくみ,十二世紀後半にはその一族で甲斐国の多くの所領を支配し,鎌倉幕府草創期にあっては,頼朝にも比肩する力を備えていた。それは,彼らが保元平治の乱にも参戦せず,一族の力を貯えていたことによるのであり,乱後はむしろ平家と深く関わり,その王朝文化を身につけていたように思われる。現存する甲斐源氏の一人武田信義建と伝える韮崎市顧成寺の諸像,同じく甲斐源氏の一人安田義定の建立と伝える塩山市放光寺の諸像は,いずれも中央での制作とされており,後者は特に優美な藤原様式を示している。このような彼らが鎌倉様式の仏像を受容してゆく過程は,従来あまり明らかではなかった鎌倉様式受容の一資料となると思われる。なお,甲斐源氏については,史料が非常に少ないこともあって本県においても研究があまり進捗していないが,近年の発掘調査等により,おぼろげながらその性格が明らかになりつつあり,本研究もそれらの研究に新たな知見をもたらし得ることが期待される。私が山梨県の仏像について研究を始めたきっかけは,本県転居後それまでほとんど知らなかった本県の仏像の水準の高さに驚き,またそれらがほとんど知られていないことに驚いたからであった。本県の郷土史研究は活発でその水準も高いが,その研究の中心は常に武田信玄とその時代にあり,それ以前の時代については関心が深いとはいえない。本研究が彫刻史を通して中世初頭の美術と文化に対する研究と理解を深める一助ともなるよう努めてゆきたい。44 -

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る