して美術史的に位置づける試みである。シュルレアリスムは今世紀における最も成功した芸術運動であり,その影響は絶大であった。1955年,ニューヨーク近代美術館で開催されたデ・キリコ展において,企画をしたジェームス・スロール・ソビーはシュルレアリスムの影響のもとに,そのデ・キリコ観を完成させた。展示作品のほとんどは1910年代のものであり,1920年代以降の展開を無視する形となった。しかし,不幸なことにこの展覧会がデ・キリコの評価の基準となってしまったのであった。日本でも画集が刊行されるとき,その展覧会図録が底本として必ず引用されるほどであった。この調査研究において,まずシュルレアリスムからの評価がいかに片寄ったものであるかを示し,あらためてデ・キリコの全体像からその芸術観を振り返りたい。そして,1920年代以降のデ・キリコの試みがことごとく失敗したという誤解を一掃しなければならない。デ・キリコの歩みは進化論的な前衛主義とは反対のものであり,古典をも眼中にいれた幅の広い自由なものであった。わたしは20世紀における前衛主義は1970年代の観念美術のなかでその終焉を迎えたと考えているので,この一世紀を通観するにはもうひとつの視点が必要だと考えている。デ・キリコの視点はここに大きな示唆を与えてくれるものなのである。⑪ 唐津陶に現われる16世紀朝鮮陶磁の影響研究者:大韓民国ソウル大学校人文大学考古美術史学科本研究の巨視的な目的は,いまだ感情的な難しさを伴う日韓関係史を,美術史の立場からいかに考えるかを提示することにある。申請者は5年ほど前から韓国陶磁史を学ぶものであるが,文禄・慶長の役とその際の陶工拉致と磁器製造技術の収奪という非常に感情的な言葉を日韓双方から幾度となく聞いた。しかしながら,日韓関係における陶磁交流の本来の姿とは,原始時代から平和的に続いていたものであり,文禄・慶長の役はむしろ異例な事態であったと思われる。それは日韓各地の遺跡から出土した多くの遺物が証明してくれよう。また,少なくとも国家的な枠組が確立する前は,日韓は1つの地域であったことを象徴するものでもある。最近,日・韓・米の日韓関係史の研究者間で,「地域」という概念を提示博士課程片山まび-46 -
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