鹿島美術研究 年報第13号
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第1に古代における土器の交流については多くの研究があるが,中世以降,特に近世しようとする動きが高まっており,特に物的証拠を提示しうる分野として美術史側からもこうした動きに積極的に賛同する研究が提示されるべきである。特に,その中でも唐津陶が重要なテーマである理由は,以下の3つの要因による。に関しては未だに研究不足の面が多いこと。第2に,唐津陶の存在意義のほうがある意味では伊万里よりも大きいと思われること。つまり,伊万里磁器が広大な市場を容易に確保し,生産場の確保を果たしえたのは,まず唐津陶が九州の地で生産に成功し,広大な市場流通を果たしていなければ不可能であった。それが拉致された陶工ではなく自主的にやってきた陶工によってなされたという事実の持つ意義は大きい。第3に,申請者の主張する通り,韓国南海岸地方の窯と唐津陶との関連が実証されれば,まさに地域交流としての日韓交流が証明されることである。以上,唐津陶と韓国陶磁の関係についての研究は,美術史的な価値のみならず,日韓関係史の正しい理解にとっても重要な研究となり得るものと考える。⑫ 両次世界大戦間パリにおける画家パウル・クレー受容とそのメカニズム研究者:跡見学園女子大学非常勤講師宮下申請者が目下研究を進めている研究の意義については以下の二点に要約することができる。そのひとつは疾術家が他の芸術家ないし公衆に受け容れられて行く過程に於いて如何なることが出来るか,そのメカニズムのサンプルが収集され,それをもとにして芸術受容の問題に具体的にアプローチできるという点である。パウル・クレーと今世紀二十年代フランス,パリを中心に興ったシュルレアリスム運動との関係の詳細は現在に至るまで必ずしも明確に跡づけられているとは言いがたい。しかし申請者のこれまでの調査研究に拠って,今日,クレーに対して常套的に使用される「幻想の画家」,「メルヒェンの画家」といった評価がドイツやスイスの芸術家,美術史家,批評家,公衆に拠って積極的に形成されるにあたってシュルレアリストを中心としたパリ美術界のクレー評価が大きく与っていたことが明らかになりつつある。この作業を更に精細にし,研究範囲を芸術家同士の問題から,芸術家をとりまく美術史研究者,批評家,画商,更に一般大衆にまで拡げ,かつコンピュータを導入して資料整理を行うことで,一人の芸術家が他の芸術家に受容され,また公衆に受け入れられる際の,「創誠-47 -

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