鹿島美術研究 年報第13号
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⑲ 台湾で活躍していた郷原古統(1887-1965)を通して窺えるもう一つの近代日本画の様相研究者:広島大学大学院杜会科学研究科博士課程戦後の日本と台湾は,いずれも台湾がかつて日本の植民地であったことを真正面から受け止めようとする姿勢に欠けているように思われる。それによってこの時代の絵画は政治的な影が纏い付き,台湾日本画は近代日本美術史の落し子としてしか,顧みようとされていなかったように思われる。日本画を日本国内だけのものとして考えるこの視点に対して,私は率直に疑問を感じる。もし,近代日本画を「日本」という国のカテゴリーから離れ,それを一つの様式として,つまり,技法や材質といった,本来絵画作品の制作に最も関わる部分から,日本画というものを捉え直せば,近代台湾日本画が正当に評価されるのではなかろうか。実際,郷原古統は当時,画家の国籍に拘らず,あくまで画布を通して台湾人に日本画を教えていたのである。そして,彼の指導を受けた台湾人日本画家の陳進,郭雪湖は1930年代に入り,台湾人美意識をはっきりと打ち出した台湾日本画を築き上げた。言わば,郷原古統と台湾人日本画家は,日本画の多様化に大いに貢献していたのである。この面を正当に評価することは,今日において特に必要である。というのは,台湾人日本画家は1950年代に台湾で起こった「国画・日本画論争」以降,台湾日本画を「膠彩画」という新しい呼称に換え,日本画と区別する考えを示した。ところが,現在の台湾の「膠彩画」を見れば,よく分かるように,内容的にはそれまでの台湾日本画と異なる革新性が一切,感じられない。一方,現在の日本画壇においては,装飾過多や様式化ばかりが目立つ日本画に対し,懸念する見方が強まっている。私は郷原古統や近代台湾日本画家をこの調査研究の中で取り上げることによって,単に人々に彼らの画業を再認識させることだけが目標ではない。むしろ,かつて日本画の持っていた多様な様相を人々にまず理解してもらい,そこから今日の台湾「膠彩画」と日本の日本画に新たな活力が生まれることを期待する。比較芸術学コース-68 磨瑾暖

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