鹿島美術研究 年報第14号
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を求めて,その時々に揺れ動いてきた。また,これらの運動は戦争やその後の植民地異民族支配,祖国復帰運動という社会的現実と密接に関わっており,それらの体験が表現の背景として絶えず存在し,表現者たちはそこから抜け出すことができなかったとも言えよう。現在30■40代にかけての作家は,戦争や独立運動を直接に経験していない。改めて問いかけずとも沖縄が沖縄としてすでに存在していた中で生まれ育ってきた世代である。彼らはナショナリストでもなく,沖縄という響きに何の劣等感も持たず,なおかつ西洋の二極対立的な世界観そのものにも距離を置くかのように見える。その世代に属する一表現者として,アジアの現代美術の動向の中に沖縄の美術家のなすべきことの方向性を見い出せるのではないかとの期待からアジアの若いアーティストたちの活動に興味を持った。この調査研究は,アジアとの関係のなかにその特色を求めている沖縄県立現代美術館(平成12年開館予定)にとっても,一つの大切な視点となることと思われる。⑲ 曽我物語図の系譜における芸能との関連性研究者:山梨県立美術館学芸員井澤英里子中世から近世まで様々なジャンルで極めて広範囲に流布した「曽我物」を題材にして,美術と文学・芸能の密接な関係や相互の影響を解明し,「曽我物語図」の系譜の全貌を把握し,物語絵の特性を探究することを目的とする。鎌倉時代の史実から生まれた『曽我物語』は,琵琶法師や盲替女による「語り物」として始まり,時代の思潮に主題や内容を変えながら,写本や版本,絵本などさまざまな形で中・近世において広く流布した。物語発生まもなく,物語を視覚化して観客に見せる「絵解き」が成立し,曽我物語は当初から美術や芸能と深くかかわりあって発展したといえよう。中世から近世にかけては絵画や芸能が大きく展開を見せた時期であり,曽我物語に取材した絵画や芸能もそれぞれの歴史的展開のなかで変化を続け,絵画においては扇面画,屏風絵,絵巻,本の挿絵,浮世絵,芝居絵など多様な画面形式と時代様式の中で制作され,芸能においては能,幸若舞,歌舞伎など様々な脚本がなされている。「曽我物語」は,他に例を見ぬほどに長い時期に渡って様々な形で表現され続けたため,ジャンルを越えてイメージが培われていく過程を探究することに,75

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