1351)の「三會院遺誡」(『夢窓國師語録』)に「尋常塔頭。守塔侍者於影像前晨昏表奉であるが,当時の宮廷を中心とした交流の盛んなさまを反映するのと同時に,の七宝の画一性も示しているといえる。本論では,1994年度鹿島美術財団の研究助成によって調査したパリ,ロンドン,ボストン,クリーヴランド,ニューヨークに現存するパリ地方の透明釉七宝作品を中心に,同地方の透明釉七宝の技法の発展を辿りながら,同時代との絵画との影響関係,主たる様式上の特色,作品の制作地の同定の問題点について概観したい。④ 「中世禅宗僧侶肖像彫刻の造像に関する研究」発表者:文化庁文化財保護部文化財調査官根立研介「頂相彫刻」とも俗称される,禅僧の肖像彫刻は,鎌倉時代後半頃から盛んに造像されるが,像主の風貌のみならず,その個性までもとらえるものとしてしばしば言及され,わが国の肖像彫刻の中でも特異な位置を占めている。しかしながら,その造像の実態については,頂相画に比べると,きわめて不明瞭といえる。したがって,像の製作年代の決定は像主の没年を目安になされることが多いが,時代を経てから造られる追慕像やあるいは像主の生前に造られる舟像の問題もあり,これに余りこだわると的確な判断を下すことができなくなる。さらに言えば,像主の名前でさえ変更が生じることもあり,五山を始めとする諸寺には像主の名さえ明らかにできぬ彫像遺品が数多く存している。これら禅宗僧侶の肖像彫刻を体系的にとらえ,また時に伝神照写るいは迫真性などの言葉が与えられる優れた写実性を正しく理解するためには,文献史料や画像などの諸資料を参考にしながら,その初期に製作された主要遺品の造像の実態を改めて検討する必要がある。そこで,龍吟庵・無関玄悟(普門,1212-91)像,安国寺及び興国寺・無本覚心(1207-98)像,正統院・高峰顕日(1241-1316)像,大徳寺・宗峰妙超(1287-1337)像,妙心寺玉鳳院・関山慧玄(1277-1360)像,正伝庵・明岩正因(1285-1369)像などを通して,禅宗僧侶肖像彫刻の造像に関する問題について検討する。まず,この種の像の造像目的から考えてみると,第一に上げられるのは,他の肖像彫刻と同様,祖師,開山に対する崇敬,礼拝のためである。禅宗では,夢窓疎石(1275事之儀。」とあるように,祖師に対する恒常的な礼拝は特に重んじられているようであ-24 -
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