③ 肥前高城寺諸仏の研究研究者:佐賀県立博物館学芸員竹下正博九州の中世彫刻史は蒙古襲来を契機としていちじるしく活性化する。畿内あるいは関東から新たな寺院,僧侶,外護者そして仏師や仏像が流入したためである。本研究ではその一例として肥前高城寺の諸像を取り上げて考察する。高城寺は13世紀後期に,蔵山順空(円鑑禅師)を開山として在地領主国分忠俊らにより創建された禅寺で,北条氏の菩提を弔うことで幕府の保護を受け,関東祈疇所となった。蔵山順空は円爾弁円(聖一国師)の法嗣で,東福寺第六世となっている。高城寺には,すぐれた肖像彫刻として有名な蔵山順空像(重文)のほか,本尊釈迦如来坐像など6謳の中世彫刻が伝存していて,構造・技法・表現の特色からその多くが院派仏師の作品であると考えられる。院派仏師に関しては東福寺での活動が史料により既に確認されており,蔵山順空の墓所がある東福寺塔頭永明院に安置される伝大道ー以像についても院派仏師の作例である可能性が大きい。蔵山順空の法嗣雲山が開いた薩摩感応寺の本尊が院隆作千手観音菩薩坐像であることも興味深い。高城寺をひとつの基点として東福寺の教線が九州へ拡大し,同時に院派仏師の活動の場となったことが想像される。以上のことを確かめるためには,高城寺ならびに東福寺や諸末寺に伝存する仏像や文献史料について実地に調査・写真撮影をおこない,詳細な検討をくわえることが不可欠であり,同時に院派仏師の主要な作品についても調査・研究をすすめる必要がある。院派については,中世彫刻史に占める位置の重要性が近年とみに注目されている。本研究は九州のみにとどまらず,ひろく日本の中世彫刻史の問題へと発展する性質のものである。④ 『パンの会』研究研究者:神奈川県立近代美術館主任学芸員『パンの会』は今まで文学の分野でも美術の分野でも,中途半端な取り上げ方しかされなかったように思われる。文学の方では,美術のことはよく分からない。美術の方としても,彼等の創作は文学者のお遊びぐらいにしか思っていない節があった。しか39 -橋秀文
元のページ ../index.html#65