鹿島美術研究 年報第14号
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シリーズなど)に比べて優れている。この中には今日ではほとんど問題にされない画家も多いが,それらを無視していては研究の進歩はない。忘れられた画家であっても,たとえばその画家が誰の弟子であったかがわかれば,画製における流派の広がりを知る上で役に立つ。また,著名な画家が登場した基盤となる画界を正しく理解することは,忘れられがちだが重要である。それに実際によく調べていけば,京都を中心にかなり多くの画家の作品がみつかることも確かである。京都周辺の寺院や民家で美術品の調査を行う際,江戸時代の中期から後期の京都の画家の作品は非常に多く出ているが,それらに対し既存の辞書類ではあまり役に立たない。今後,より重要性を増してくると思われるこれらの画家を,正確に位置づけていくため今一番必要なのが,同時代資料をもとにした地道な調査にほかならない。⑱ 絵巻の旧本消散による新本再生研究者:帝塚山学院大学名巻教授絵巻の旧本が失われて,その新本が作られる。こうした場合,既に旧本は遺存しないのだから新本は創作されたのだ,といえるだろうか。しかし,絵巻の祖本や古本を雌重した時代には,その旧本の再生を願って新本の調製が図られたと考えられる。それ故,ここでは新本がどのような仕方で,如何ような作品として再生されようとしたかを知ろうとするのである。絵巻の創作と同時に,その類本も生成した。同じ種類の絵巻を作成することは,絵巻が成立した最初期から盛んであった。そうした類本のなかでも,殊に伝写本は先行作品の再現を意図していた。この伝写本における旧本再現の様相は『看聞日記』などの古記録によっても充分に窺うことができる。だが,課題は旧本の消散後に産出される絵巻再生の秘事を解明することであって,絵巻の再現を意図した類本制作と関わるのではない。では,絵巻の再生と呼べるような作品形成が可能になるのは何故か。絵巻の再生は,今後検証されるべきことではあるが,消散した作品の直接的な記憶像に依拠するのではなくて,伝存する範例的な絵巻の絵画に共有されている特有な説話表現によっているのではないか。このことは広い意味での類本的な生成現象であるとしても。ただし,田友之-50 -

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