鹿島美術研究 年報第14号
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かったとする評価すら見られる。しかしドイツでは,現在でも欧州では規模の点で凌ぎ得ないと指摘されているほどの空前の規模を誇る展覧会,すなわち『伯林日本古美術展』が,1939年に開かれたという事実がある。このベルリンの展覧会は,その規模からしてもドイツでの日本美術への関心を知る上で重要な位置を占めているが,従来ナチス支配の政治的背景からあえて見過ごされてきた感がある。本研究ではこの『伯林日本古美術展』を研究の対象にとりあげて,日本美術の受容に対する意味や特質などを明らかにすることを目的に据えている。この展覧会について考察するためには,それが質,量ともに凌駕した規模によって19世紀以来の日本美術の受容の到達点を示すものとみなせることから,第一にそれ以前のドイツにおける日本美術の受容の道程に位置づける必要がある。そのためベルリンの展覧会以前の日本の美術の展覧会の中で最も規模の大きい1909年のミュンヒェンでの『日本と東洋の美術展』と主に比較検討し,両者の特質の相違を明らかにする。第二にベルリンの展覧会は単なるエキゾティズムではない本格的な日本美術の紹介をめざしており,日本美術の研究の進展に対する貢献という意味でも注目される。そのため日本美術の研究史との関連も考察すべきであろう。その際ベルリンの展覧会の代表委員であると同時に日本美術の研究者でもあった0.キュンメルが,注目すべき人物として浮かび上がってくる。このキュンメルの活動も重要な考察対象となろう。またベルリンの展覧会には政治的な意図が潜んでいた可能性も見逃すことはできない。そのため,第三の視点として,ベルリンの展覧会に対するナチス側の意図や,芸術政策の中でのベルリンの展覧会の位置などを明らかにする。具体的な研究調査としては,作品と資料に関する現地調査を予定している。資料調査では,関連する出版物および当時の雑誌新聞記事を中心に,ベルリン,ハンブルク,ボン,ケルン,ミュンヒェンの図書館・文書館及び美術館等で資料収集を行う。また作品についても,ベルリンの日本古美術展に展示された作品を日本で確認する一方,ナチス時代に疎開されていた旧ベルリン東洋美術館蔵の日本の美術作品は,現在これを所蔵するベルリンの東洋美術館において調査する。そのような調査結果をもとに,上記の観点を中心に考察する。なお展示作品や当時の記事や論文についてはデータ・ベースを作成する。-54 -

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