鹿島美術研究 年報第14号
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⑭ 日本近代美術における戸張孤雁芸術の再考察-新発見関係資料を加えて一一研究:財団法人禄山美術館学芸員日本近代から現代にかけて美術に対する感覚の変動は大きいと考えられる。明治初期の勧業政策に乗った時期は,技術の取得が美術においても最優先であったが,しだいに芸術という全体的な視野を持つ作家が出てくる。しかし,現在では,又,専門分野を細分化し,より細極化の傾向にある。戦前位までの美術を職業とする者の多くは,教養として他の分野の趣味を持つなど活動に幅があった。これらの事は当時の美術を考える上で,忘れられがちであるが,欠落させてはいけない問題であると考えている。私の調査対象としてきた明治以後の彫刻を主にする作家にも例を上げれば,高村光太郎,萩原守衛,石井鶴三など戸張孤雁の周囲には,一分野に限定されない活動の幅を持つ作家か多い。これらの人々の若い時代には自然主義などの運動もあり,時代傾向を加味する必要があるが,それ以外の要因が考えられる。これらの作家の中でも,特に戸張孤雁は多方面に手を染めている。その為か,趣味的な面ばかりが評価され,その評価は十分でなかったと考えられる。しかし,近年,その再評価が行なわれ始め,その水準の高さが認められつつある。それに伴い調査研究の推進の必要性を痛感していたが,当時を知る人もほとんど無く,資料も十分とは言えなかった。しかし,今回,未調査資料がまとまって確認できたので,これを機に,愛知県美術館蔵の資料と関連づけ集中的な調査を行なうことが可能になった。この事により,戸張を通した当時の美術人の動向を探る上で新たな情報を提供できると考えている。⑮ 繍佛における画風の研究研究者:文化庁文化財保護部美術工芸課文部技官伊藤信繍佛のなかには,平繍いや刺繍い,纏繍いといった刺細の技法から判断された制作年代と,仏画としての絵画様式,たとえば紺丹緑紫などの配色原理や諄像の顔貌表現,あるいは体謳のプロポーションなどから見た場合の制作年代とが,かならずしも一致しないように思われる作品が見受けられる。一例をあげれば,現存する鎌倉時代以降の繍仏には阿弥陀来迎図をあらわしたものが多いが,同種の絵画作品の場合,聰像の体艦を金一色にしたいわゆる皆金色身のものを鎌倉中期以降に置くのにたいし,全体-63 -田敬一

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