に豊かな五色の色糸で刺繍した綿仏の作品では,もっとも早いもので鎌倉末期という判断がなされている。このためにも制作年代の明らかな基準作をはじめとする作品の調査を行い,従来の繍仏の制作年代について再検討する必要があるのか,あるいは画風による年代判定と繍技による年代判定との間にどのような懸隔が,なぜ生じるのかという問題について考察したいと考えている。⑯ 十五年戦争美術の戦後---fl=品所在の変遷をめぐって一一研究者:早稲田大学文学部助手河田明久十五年戦争下のわが国で制作されたいわゆる“戦争美術”を広く美術史一般の文脈で語るための努力は,各種の論稿,シンポジウム,展覧会の企画等により,ここ数年来一定の成果を上げつつある。だが,その多くは戦前から戦中にかけての戦争美術の成立と展開を説くことに重点を置くものであって,戦後における在りようについては,いまだ事実関係の調査にもとづくきめ細かな研究は行われていない。本研究は,十五年戦争美術と論者との間に横たわるこの,いわば歴史の地続きの部分を跡付けることを目的としている。軍部の企図に応じて描かれた公的な性格をもつ戦争画は,敗戦の後二通りの運命をたどった。ひとつめはGHQの手でアメリカ本国に接収された後,1970年代に日本国に“永久貸与”され,現在では東京国立近代美術館の保管にかかる作品群で,作戦記録画一宮中に献納するための歴史画として軍部が制作を委嘱した公式戦争画ーがその大半を占めている。ふたつめは接収を免れ日本国内の諸施設に伝存する作品群で,自衛隊関連施設が最も多くの,また各地のおもだった神杜がこれに次いで多くの作品を収蔵していると推測される。接収を経て返還されたひとつめのグループについては,だれが,どこで,どの作品をどのようにして集めたのか,またGHQはこの作業にどう関わったのかが分かっていない。GHQは作品群をなぜ本国に送付したのか戦利品であったからか,それとも日本の将来に対する思想的な毒性を慮ってのことであったのか。その他,アメリカ国内での保管状況,やはり同時期に接収されてアメリカにあったナチス・ドイツ美術作品の扱われ方との異同,返還交渉のいきさつ等にも不分明な部分が多い。本研究では日米双方の公文書等に拠りつつ,戦争美術の戦後処理をめぐることうした事実関係の欠落部を再検証する。他方,自衛隊・神社に伝わ-64 -
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