⑱ パルミジャニーノと16世紀芸術理論研究者:東北大学大学院文学研究科博士課程足達近年,WazbinskiやGoldstein,Rossiらの個別研究は「エ房からアカデミーヘ」,「幾何学からイデアヘ」,「職人から芸術家へ」といった16C後半のイタリア美術の変化を明らかにしつつある。けれども,16C初期に関しては,なによりテクスト資料が少ないため,なお,なおざりにされている感は否めない。にもかかわらず,我々は,パルミジャニーノのおびただしい視覚資料を,同時代のテクスト,さらに近年次第に明らかにされつつあるバッチョ・バンディネッリのような同時代実践の在り方,あるいはまた,幾何学および芸術についての(ひょっとして芸術論以上に)影靱力あるトボスを語る錬金術書ないし,ヘルメスープラトン系の伝承(「完全に調和のとれた彫像は生き,口をきく」や「四大元素と第五元素をシンボライズする正多面体」など)といった具体的文脈から解釈できるのである。したがって,そこで明らかとなるのは,上でのべたような図式を超えて,さらに具体的で有機的な美術家の姿である。たとえば私が今まで得た資料では,パルミジャニーノは,ルーカ・パチョーリの『神聖比例論』の1509年版を読み,さらに何らかの形でフィチーノの訳で有名となった「ヘルメス文書」も知っていた。さらには,1520■30年代に,己れの工房を「アカデミー」と称したバッチョのローマにおける実践およびその自己解釈(メランコリー的天才)にも触れていたと推定される。そしてそれらの言葉と言葉にならない「思想」は,むしろ我々にはおどろくべきことでさえあるが,彼の作品の中に本,コンパス(その描写と文脈),図形として疑問の余地なく読みとることが出来るのである。このような視点から,パルミジャニーノ芸術を全体的に研究することは,重要かつ実り多いことであると信じる。⑲ 南頭派研究ー一熊斐を中心として研究者:長崎県立美術博物館学芸員伊藤晴子熊斐は,日本で沈南禎に直接師事した唯一の画人であるが,鶴亭・宋紫石など,大阪・江戸南禎派を沈南頻と結び付ける接点としてのみ語られ,熊斐個人について,い-66
元のページ ../index.html#92