鹿島美術研究 年報第14号
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まだ本格的な研究が進められていない。そこで本研究では,熊斐の作品調査をもとに,まず,熊斐の画業をさぐることを目的とする。南頻派は,沈南禎の画法を基礎に,各地で独自の展開を見せて行ったことが,先学の研究により,すでに明らかにされている。しかし,その展開が沈南頻との接点の地・長崎,とくに熊斐において,どのような意識をもって成されていたかは疑問視され,現在,積極的評価を受けているとは言い難い状況にある。熊斐は当初沈南猿に師事し,南禎帰国後はその弟子である高乾などに師事したことが知られている。そうした受容の面と,そして熊斐の弟子・森蘭齋の『蘭齋画譜』などに記載されている熊斐の師としての側面をも考察し,江戸絵画史上における熊斐の位置付けを試みる。本研究は,長崎における南禎派の研究はもとより,将来的には中国絵画史の中で,その姿を捉えることが困難な沈南頻の研究に資すことが期待される重要なものと考える。⑩ 中国の文化センター研究一~南北朝期の徐州地区を中心に_研究者:筑波大学芸術学系講師八木春生中国における南北朝時代美術の研究はこれまで南北文化を対立的なものと捉え,北朝と南朝いずれの文化が相手方に強い影響を与えたのかという面からの研究が主体であった。その背景には,分析をおこなうための資料が,北朝であれば大同・洛陽,南朝であれば南京というように,当時の文化的な中心地(これらを「大文化センタと呼ぶ)に偏在していたことがある。しかし近年における新資料の発見はこのような南北朝美術研究の枠組みに修正を迫っている。即ち1980年代以降,中国の経済発展に伴い新たな資料の発見・公表が相次ぐようになり,これまで資料的には空白であった地域でも,次々と資料が公表され,資料の偏在と謂った状況が大きく改善されたのである。この結果従来画ー的になるものとして考えられていた南朝文化・北朝文化が,その内部にはかなりの地域差を含んでいることが明らかになった。無論文化の中心地としての南京・洛陽・大同の地位は揺るがず,これら大文化センターの影聾力は強いものがある。しかしこれ以外の地域も大文化センターの影響力の前に画ー的に統一されるのではなく,影聾は受けながらも独自性を-67-

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